「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

床で書いている

 

 

ちょっと昨日の続き、荒療治二日め。

 

僕はいっとき書くことに餓えていた。それは文字通り、書けなくて書けなくて餓えていた。なんだか僕の中で、物質的に書けたというところの供給と、精神的に書きたいと思うことの需要がうまくマッチしなかった。ただ、書くならどうにでもできるとおもって、起きたことを何でもかんでもスマートフォンのメモに残した。そしてそれは、眠ったままだった。その瞬間に起きたことを全て文章化することの難しさを知ったわけだけど、それを勘案してもなお、思い出して書くことが苦難だった。おもった以上に、苦難だった。

書きたいと思って書いたことは、伝えたいこと、ないし文章化したいと思い描いていたことのたった3割にも満たないように感じられた。「不器用さ」はここまで及ぶか、と思った。

 

 

それはただ単に、美味しいビールを見つけたとか、焼き鳥が美味しかったとか、電車がいっぱいだったとか、今日は一日暑かっただとかでいい気がした。単純なできごとを思い出していま落としてみているけれども、どれも時間的に近くて、印象に残った出来事のそれぞれだ。そんな近くてたいしておもしろくないできごとしか浮かばない。戸田から国立まで車を走らせた時、綺麗な通り雨に遭った。大きな雨つぶに揺れる新緑の向こう側に、虹はしっかりと足を地につけていた。少なくとも僕には、浮かんでいるように見えなかった。

 

それもそうだけど、仕方なく今日も床で書いてみようと思う。

 

 

 

土日の朝、目が覚めた時、隣に彼女がいてしあわせだった。それは何にも代えがたい多幸感だった。ちょっと心が寂しくて、つまらないことで意地を張ったり怒ったりしていた僕に、彼女はやはり必要だった。それ以上の言葉は要らない。

 

いつの日か、「僕たちは*1思い出に恋している」といったことがあるし、書いたことがある。どちらかというと先は、書いたことだったかもしらない。仙台へ向かう夜行バスの中だった。隣の女性は酒とタバコの匂いがした。

上の言葉の意味は説明するまでもないが、現代風、イマドキ風に言うと「コト消費」だった。なんてくだらなくてしょうもない、頭の悪そうな思想なんだろう。辟易する。だから僕は、言葉の意味を説明せずに放り出して、逃げようと思う。今はそうではない、ということだけ言っておきたい。

 

 


MONKEY MAJIK / 空はまるで

 

 

お得意のApple Musicで聴きたい音楽を探していた。こいつはめっちゃ頭がいいから、いろんな好いミュージックを探し出してくれる。時々反抗するけれど大概はいいやつなのだ。そんなこんなで僕に、モンキーマジックを見せた。少し傷心的だった自分の中に「Headlight」がじわっと染み込んできた。おもった以上に大きなダメージだった。

 

これもいつか言った気がするのだけど、モンキーマジックの「空はまるで」を聞くと、仙台のエフエムを思いだす。ラジオの中のCMだったかあまり覚えていないのだけれど、なんか妙に記憶に残っている。そしてラジオ自体あんまり面白くなかったけど、なつかしさは破壊力抜群。こんな、いまの感情にあいまって、僕は余計に仙台に帰りたくなった。

 

仙台ではよく走った。走ったしか思い出せないかもしれない。僕の生涯的自己ベストを出したのは仙台だし、そのために一番練習をしたのも仙台。いろんな青春の思い出を刻んだ。甘ったるい言葉だけど、僕にとっては代えがたい思い出たちばかりだ。思い出はずっと、そこにとどまっていてくれるだろうか。もしかすると思い出は逃げないのかもしれない。ただそこに、静かにとどまっていてくれるかもしれない。

 

その反対で、僕が東京にいるというその事実が受け入れられないというか、今でも違和感を覚える。東京にいる自分に納得できない。道をや路線を覚えたりして、やや流暢に説明できるようになっている自分が気持ち悪い。僕でないみたいだ。そんなこんなで僕は、東京にいながらにして仙台を想っているのだ。なんて変な話なのだろう。

 

 

モンキーマジックは僕の通うはずだった学校にALTとしてやってきていたことがある。自然と、親近感がわく。震災を思って、余計に感傷的な気分になった。涙が出そうになった。無関係、と言ってしまいそうな自分がいて怖くなった。ただ、距離と時間とが離れているだけなのに。いや、距離と時間が遠くなっているからなのかもしれない。思えば「Headlight」は震災復興的なテーマソングだった。よくCMで流れていた。

 

 


MONKEY MAJIK / Headlight(Album ver.)

 

 

昨日のその感情は今日の昼の電車の中でもフラッシュバックした。目黒から渋谷に向かっている黄緑色の電車だ。グッとつり革を握った。

 

ドアが閉まり発進しそうなところで、初老のサラリーマンと、こう言っちゃなんだがいかにも私はお釜です!っていうメイクの人が一斉に立とうとした。もうドアは閉まるぞ、と僕は思っていた。立とうとした理由は、杖をついたおばあちゃんに席を譲るところにあったようだった。結果、出入り口からは離れたお釜に軍配が上がった。そこで私が一番に驚いたのは、席を譲ろうとした二人についてもそうなのだが、初老のサラリーマンがひどく悔しがったことだった。彼はものすごい顔をしかめ、軍配の上がったお釜を羨ましげに眼差しているように見えた。お釜はちょっぴり恥ずかしそうにそれまで全く目もくれなかったスマホを熱心に見始めた。

 

その間、ことに気づいた二人に挟まれた太った男は何にも気づかないようにスマホでゲームしていた。もちろんいろんな解釈があるだろうが、僕はこんな光景を見て、目の辺りがまたじんわりと熱くなった。早く帰ってシャワーが浴びたかった。

 

 

*1:特に僕は