「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

仙台に帰りたいな、そう思った。

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世界は 囁いて

やさしさに つつまれた

ありがとう キミの声で

たちあがる

And now I'm moving on

Now I don't know where I need to go

(Uh, you got me on the headlights)

There's always kindness standing by your side

(Yo, I'm locked from the headlights)

I watch the rain fall

(Ain't you taken from me)

Just like I knew it would

(You don't wanna be in this situation)

There's room to go on

So now I'm living on

 

 

 

 

荒療治したい。とにかく、今すべきことだ。

 

前回、ここに記事を落としてから1週間が経った。その間、僕にとって面白いことや楽しいこと、思いがけないことはたくさん起こっていて、その都度これは書こう、と思ってきた。だが1週間経ってみると僕は何一つ書けていなくて、それは1時間早めに出勤して書こうと思い立ったあの月曜日の朝でさえ、オフィスの美化管理や日常的点検、メールのチェック、栄養補給に時間を費やした。

書きたい、と思っている自分がいる。それはわかる。何か書ける、と思っている自分もいる。それも認識している。しかしもう一人、結局先延ばしにするだろう、というどちらかというと悲観的、牽制的な自分も同居しているのだ。兼ねてから僕は、自分は何かを書くことができると思ってきた。それは、このブログに落としてきた記事の数々を見ればわかる。誰も見ていないこと、にスポットを当てたいと思ってきて、書こうとした。「あ○いくんはそんなところによく気がつくね」と言葉をかけてくれた教師の存在が、今の自分を作っていると言ってもいい。良くも悪くも。

 

だから僕は、なるべく、みんなが見落とすところや、みんなが目を背けようとしていることに着目し、(それは時に重箱の隅をつつくようだけれど)あえて、どうにかして、何らかの言葉にしようとしてきた。別に努めてきたわけではない。

 

ただそこにビールがあって目一杯に飲むのは、もしかするとその所以は周りのみんながビール嫌いだったからなのかもしれない。そのうち大人に混じり(割と昔から、年上の方には馴染ませてもらえる性質がある) 杯を乾かせるようになったから好きになったのかもしれない。

 

 

それが表だとして、ひっくり返してみればダンゴムシやアリンコがよく育っていた。何も育たないぼくの裏側では、小さな生物が生き生きと育っていた。

 

 

そのうち自分は当たり前のことを当たり前のように書けなくなっていた。論文や報告書、単なる所感でさえも苦労する。こんなのじゃ面白くない、つまらない。と思われるのが怖くて、なのだ(到底くだらない)。

でもそんなこと以前に、一番に怖いのは(その時にわからないのであろが)、何も書けなければ評価さえされない、ということだ。僕は、第一に、自分が何かを書こうとしなければ書けないということを認めなければならない。早急に。

また、自分が書こうとしているものことを、そろそろちゃんとしたものにしないと、何もかも書けなくなっていくという視点を持たなければいけない。僕はすでに以前の僕ではないし、僕の中に堆積した感情や経験や、人づてもほとんど見えない化してしまったのだ。あるいは僕の中の感情は、何一つとして育っていなくて手持ち無沙汰になっていることを知らないといけないだろう。

 

いくら本を買ったって僕の中では何もアップデイトされていなくて、ただただつまらない人間に育っている(それはそれで面白いのかもしれない)。

たった数センチでもいいからジャンプしたい。思っているだけでは無理なのだけれども、思うだけは自由、タダと思わせてほしい。それ以外に僕は、埋められるしか救われるすべはないだろう。

 

 

 

面白い本をたくさん買って自分が面白くなるかと思っていたらそれは大間違いだった。おもしろい街を歩いて(ぼくなりに)面白いことをすれば勝手に面白くなると思いこんでいた。

 

けれどこの世の中の生物学的、人間学的には、何もかも自動的に育ってはくれないのだ。ボーボーに生える雑草にも名前はあるし生存戦略もある。僕がたとい育っていないのだとしたらどういった状態なのだろう。腐っているのか丸ごと時間が停止しているのか原型をとどめていないのかどんな状態だろう。幸いなことにからだはいたって健康である。一日走ったって、壊れはしないだろう。

 

 

 

 

ふと朝、モンキーマジックの「Headlight」をきいた。彼女はその曲を知らなかった。僕は震災の雪を思い出した。

 

そこではいろんなものがあった。友達のマンションの8階から目の前が真っ白になるほどの吹雪を見て、世界が強制的に終了させられるような実感を抱いた。車の窓ガラスから灯されていない信号を見た。高熱を出して、電気のつかないコタツで凍えていた。両親の大きなキャンドルで灯されたテーブルを囲み、あり合わせの缶詰を食べた。熱が下がると地域の公民館に出かけて炊き出しを手伝った。みんなたくさん並んでいてやっとの思いでちょっと手渡されるのに、僕らは終わりぎわ余るくらいのカレーライスを食べて、なんだか苦い思いをした。

 

その年の冬、初めてアイフォーンを手に入れた。僕は真っ先にユーチューブでモンキーマジックの「Headlight」を探した。僕はそれを見つけ聴きながら、横にいた父親は車を発進させた。

確かにワイパーは仙台ではめずらしい重たい牡丹雪をかき分けた。曲が最後のサビに向かっていく中であの出来事が全てフラッシュバックされた。そしてイマゲンザイの世界を生きる僕は布団に寝そべり、彼女の脇でしばらく動くことができなかった。

あの時僕は死ぬことはなかっただろう。それはしっかりと避難したおかげで助かったのだ。優秀な教員とその叫び声、サイレン音のおかげだった。

 

どうしてか、しっかりと今生きているのだ。

2011年、高校二年生。そこで結果を残せず、よく年高校三年の成績も振るわなくて、今年卒業した大学に入れていなかったら、間違いなく彼女とは出会っていなかっただろう。

 

そんな人生を想ってみる。うん、全く想像がつかない。ああ、それなりにいいことだ。

 

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