「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

「赤飯」

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あかいいではない。せきはんについてだ。

 

「お赤飯はお祝いの時に食べるもの」と聞かされて育った私は、今まで何度かしか口にしたことがない。食べたのは実家ではなく、母の実家でのことだった。どうしてそんなことを急に思い出したかというと、母親からの仕送りの荷物に「赤飯」が入っていたのだ。お金はもらっていない。でも数ヶ月にいっぺん、まだ私の母親は私にものを送りたがる。何が食べたい?と聞かれ、私はお金があればなんでも(こっちで)買えるよ。と答える。対して母は、分かってないな。と返す。こんなやり取りは、学生の頃から変わっていない。今でもやっている。ここのところ母は、見かけは元気なのである。

 

収納スペースの手前にしまわれた「赤飯」を引っ張り出し、食べようと思ったが気が引けた。一人暮らしの「お祝いの時」とはいつだろう?一人でキッチンに突っ立っては睡眠時間が削られるのを承知で考えていた。初めての給料?社会人になってから初めての誕生日?賞与の受け取り?なんだか考えるだけバカバカしくなって、結局、即席のうどんだけを食べた。贈り物の「赤飯」は、もう一度収納スペースにしまわれた。

 

母にとっての「ずいぶんと連絡しないで」はほんの一ヶ月に満たない。それしか経っていないのに、母は「なんでよこさない」と聞く。「忙しかったから」とか「忘れていて」だなんて言えるはずもなく、いつも私は「ちょっと間を置いたほうがいいと思って」と恋人に対して訳のわからない言い訳をしている男みたいになった。当然母はすねた。それももって二分のことだが。

 

「赤飯」って、何を思って送ったのか?と聞いた。すると、好きだったじゃない、のようなことを言った。私は「赤飯」が好きだったのかもしれない。「赤飯」にごま塩をありったけかけて食べるのが確かに好きだった。小豆の無味感も好きだった。「今の自分にお祝いどきなんて無い」というと「そういうことじゃないんだなあ」と返した。

 

こないだの休みに、それもよく晴れた日に彼女と西友でごま塩を探した。案外すぐ見つかった。おおきな一袋のものと小分けになってたくさん入ったものと二種類あって、後者は八十円近く安かった。ためらった。すでに、五百円とか六百円とかの店のビールには、抵抗なくお金を払うのに、この八十円がとてつもなく大きなものに感じられた。とてもバカバカしかった。刺身の盛り合わせの498円もなんとなくいやらしい。たしかにスーパーは安い。コンビニも基本的に安い。でもどうしてだろう。五百円のビールは喜んで選ぶのに、216円の缶ビールにためらいを覚えるのは。つまらないことは置いといて、ごま塩も見つかったことだし、さっさと家に帰った。

 

しまわれた「赤飯」を取り出した。じっと見つめ説明を読み、口を三センチほど開いた。ご飯をチンして食べる習慣がなくて、面倒でもコメを炊いていた自分は、初めて、簡易的なコメを食すことになった。それも、母親から突然送られてきた「赤飯」を、なんのお祝い事もないのに、ただの休日に。

 

「ごま塩、かけ過ぎちゃった」と彼女は言った。確かにそれはかけ過ぎで、私でもそんなにかけなかった。しょっぱかった。小分けにされた一袋はなんだかんだで多かった。でも美味しかった。簡易的なコメ料理としての即席「赤飯」はいいものだった。こんなに簡単に、ご飯が食べられていいのか、と思ったぐらいだった。

 

*  *  *

 

「お金がないんだ」と冗談っぽくいうと、「何言ってんだバカタレ。親不孝もの」と母は笑って言う。そう言われるたびに私は、何が親孝行なんだろう、と考える。Apple Musicで見つけたTHE CHAINSMORKERSとQueenとEarth, Wind & Fireと岩佐康彦をローテーションしながら夏の夜に考える。

 

Queenの『Flash』を聴いていると、小学生、ある夏休みの夕方に名取から米沢に行くまでに通る、白石の急な山道を思い出す。その山道で母は「目の前のトラックがこわい」とよく言った。何がこわいかきいてみると、坂道を登っている途中でトラックの荷物がバラバラバラと落ちてきたら嫌じゃん、と言った。僕はそれに対して「それは嫌だ」と答えた。今頃になって、運転してみると確かによくわかる。目の前のトラックが怖い。早く路線変更なりしてくれないかなあ。

 

夏の静かな夜に聴く『イパネマの娘』はいいな。