何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

ニュートラル

朝ぼらけ 宇治の川霧     たえだえに

あらはれわたる 瀬々の網代

 

 

思ひわび さても命は あるものを
憂きに堪へぬは 涙なりけり

 

 

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを

雲のいづこに 月宿るらむ

 

 

 

満たされない自分に何か言葉を送りたい。なんだっていい。本当に、なんだっていい。夜にコーヒーゼリーを二個食べたって誰も怒らない。規範とか規律とか、大学まで嫌という程学んで来た、あるいは大学の卒業論文の中で取り組んで来たものをうしなった。そんなことが関係あるというのだろうか?

 

 

衣食住。本。通信的携帯機器。収納スペース。筆記用具。コロン。さら。シャンプー。スヌーピー。時計。酒。それでも満たされない自分に何か言葉を送りたい。何が不足しているんだろう。一体、何が不足しているんだろう。お酒だって、一週間に三度飲んだって丈夫になった。ありがたいことにお金だって、ある程度自由に使えるのだ。この三ヶ月ばかりはとことん、消費するという行為そのものを消費してきた。使いたい分だけお金を使い、行きたいところがあれば、まず無理な我慢はせず歩いて、走って、電車を使って行った。バスもよく使った。髪を切ったり神社に行ったり本を読んだり、絶景に脚が竦んだりした。神宮球場の向こうに浮かぶ夕陽をみて涙ぐみそうになった。都会のよあけをみた。そしてその時々にその分だけのお金を払った。それでも困ることなく生活ができている。あまり困ることなく。「働く」という感覚をそんなに覚えず、お金を使いたいだけ使ったから、そのバチが当たったんだろうか?いや、それは少し言い過ぎていて、僕は僕なりに働いている。僕なりに一生懸命社会の歯車になろうとしている。そしてそれなりに社会に対して歯むかって、ジリジリ動いている。ものすごい激流の川を目隠しされながら歩くように。なるほどまだ大きなことをやっていないだけだからそんな感覚なのかもしれない。けれど、それにしたって僕は自由にお金を使い過ぎている。分かっていて自認していてなおかつそれを赦しているじゃあ、一体何が満たされないんだろう。何を消費すればいいんだろう。時間?能力?知識?なんだかそれは消費する、とは直接的な結びつきを持たないようだ。間違いなく、一年前、二年前の僕は満たされていた。それこそ、お金がなかったのに。

 

 

いまの僕は僕なりに悩んでいる。君も君なりに悩んでいる。僕はそんなにバカじゃない。おあいこだ。

 

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