ほんとわたし

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本屋に行くと本を買ってしまうからダメだ。

 

この頃は浮かれてるからなのか何なのか、本屋を見かけるたびに立ち寄り、買ってしまう。本を。特に雑誌が多い。

初めは、雑誌の出版社に勤めるものとして雑誌を読んでこなかったのがまずい、と思ってだった。しかしそのうち、雑誌そのものと触れ合っているのが楽しか感じるようになった。これは定期的に買いたくなるわけだ。

雑誌を、メディアの重要なものの一つとして考えてこなかった自分を、見晴らしのいい湖のど真ん中で沈めてしまいたいくらい、そんな後ろめたさがある。そんな人間がよく今の会社に入れたもんだ、と思う。

 

本屋に生まれたら本は読まなかっただろうか。あるいは、多読家になっていただろうか。時折考えてみる。どちらにせよ、絶対なことはないと思う。親が読めといえば読んでいただろうし、読むなと言われたらそれでもまた読んでいただろう。幸い僕の親は僕に対して、勉強しろとか本を読めとか言わなかった。

ただ、周りに迷惑をかける人間にだけはなるな。と言った。

 

大学では附属の図書館にたくさん通った。そしてたくさんの図書に囲まれ、時に溺れ、時に机に突っ伏して彼らと眠った。書棚のはざまで、せっかく手にとり大机まで運んでも、読まなかったものも多くあった。

これ後で読もう、と思ってやり過ごした本たちはそのまま行方不明になり、二度と会うことはなかった。まさにその一瞬の出会いだった。一期一会とは言い難いかもしれないけれど、きっと、多分そういうことだ。

 

そんな大学の図書館を離れてから身近に手軽に読める場所を失った僕は、本をよく買うようになった。失くなった何かを埋めるために本を買っているように感じる。

べつに本を買えば人生が変わるなんて思っちゃいない、ただ本を買って家まで運んで、それを積み重ねる。その山を眺め、時折手にとって元の場所ではないところに置く。買った本は僕の部屋のなかをたくさん移動する。その中で気に入られたものだけ、あるべき決まった場所に置かれ、手に取られればそのあるべき場所に戻される。まったく、人事といっしょだ。

 

電車の中では、自己啓発系に傾くビジネス書をよんでもおもしろくなかった。やはり電車では、物語を読むべきだ。その時は、その場所からなるだけ遠く離れた場所に自分を置くべきである。

この先生きると思って読むビジネス書に価値はない。物語か、生のニュースにだけ価値がある。明日は何を持っていこうか。キマリ。

 

つまらないことを書いてないで眠ろう

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