「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

125800円・「就活生」・スイッチ

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太った女はそれと同じくらい太った男といた。小学生ぐらいのからだなら収まってしまいそうな大きさのキャリーケースを引きずっていたが、彼らが持っていると何だかそれは、僕がハンドバッグを持っているぐらいの感覚をもたせた。男と女は背中を合わせるように互いに別の方向を向きながら電車に揺られた。時々、何かを思い出したように男の方が、太った女の方を振り向き声をかけた。女はよく笑った。・・・東京を歩いていると何度も私は、違約金を払ってでもさいたまの部屋を早く引き払おうと思うのだが、部屋の最寄りの駅の改札を通る頃には明日の食事はどうしようか、洗濯しなきゃなと考えている。本当にどうしようもない。

 

毎日毎晩、その朝に停めた自転車の(ロックを解除するための)位置番号を忘れ、ぐるっと回って一度確認しなければならなかった。どうしようもないくらい数字を覚えることができなかった。もっとも、その番号の選択肢は100か98か97しかないというのに、だ。99番のロックを解除するには125800円支払わなければいけなかった。

 

時間が惜しかった、冷静に考えると毎日停めるための駐輪場代はもっと無駄だった。二日我慢すれば500円の文庫一冊を買うことができたし、缶ビールなら少なくとも2つを、コンビニで買うことができた。なんでこういう基本的なことができないのだろうか、といつもいつも悩ませる。

 

・・・

 

ある女はきっと就活生だった。真っ黒のスーツはあまり似合っていなくて、幼稚園児が囚人服を着るくらいの違和感を持たせた。彼女は趣味の悪いカバーをはめたスマホで、友人か誰かに、目下就職活動の報告をしていたんだろう。

 

「アタシさ~あ、第一生命の人に声かけられたんだよねえ。名刺も渡されちゃったし。14時半って言われたけどいかなぁ~~~い。」

 

行かなければいい、と私は思った。

その反対の左側に座る(これもおそらく就活生の)女は目の焦点がまるで合っていなかった。手は膝の上に揃えておき、背筋も伸びていた。スーツのサイズ感もちょうどいい。身長は156という所だろう。機嫌がいい時なら、ヒールを履けば160なの、と言いそうだった。髪は少し茶がかっていたが清潔に感じさせた。ゆいいつ引っ掛かったのは、彼女の目の色だった。青く見えたり黒くに見えたりし、タイミングによってまばらだった。私は混乱した。一人でいる彼女からは、全くをもって生気が感じられなかった。ずっとぼーっとしているのである。顔こそ赤くなっていなかったが、お風呂に入りすぎてしまったような表情だった。そこに一人の女がやってきた。そしてハンバーガーと飲み物を乗せたプレートをそっとテーブルの上に乗せた。その女はおそらく彼女よりも年上だったろうが、彼女は女がやってきても数秒停止したまま動かなかった。気づいていないようだった。やがて先輩の女がハンバーガーを手にしたところで、ハッと気づいた。

 

「疲れた?」

「え、あ、いや。ちょっとだけ疲れました。」

「飲みなよ」

 

 

酒をむりやり勧めるような言い草だった。先輩の女も同じようにスーツを着ており、彼女とは対照的にブサイクだった。それでいて表情がなく、ある意味で生気が感じられなかった。少し経って、すなおに飲み物を飲み干そうとする後輩女子の顔に花が咲いた。その笑顔を出せばいい、と思った。

 

そういえば。就活生という呼び名が妙にいやらしくて、いけ好かない。*1まあ確かに「専門学生を含む、就職活動をしている学生」を略そうとするなら、それは仕方のないことなのかもしれないのだけれど。

後輩女子の後ろを山手線内回りの列車が、3分おきぐらいに通り、あっという間に過ぎていった。その度にゴゴー、ゴゴーと音が響いた。

 

・・・

 

ところで、太った女の履く靴がひどくぺったんこだったのが面白かった。もともと土踏まずはあったのかもしれないが、体重が増えるとともに落ち、なくなってしまったのかもしれない。確かに人間の足部は筋力が落ちると、土踏まずがなくなってしまうことがある。靴の形状すら変えてしまうカラダの重さとは、いったいどれほどだろうか、考えただけ無駄だった。さっきデパートで、イヤリングや指輪やネックレスを勧めてきた女の顔がちらついた。友人に似ているのがいて複雑な気分だった。ある時期が来ても私は、一人で結婚指輪を買いに来たくないな、と思った。

 

・・・

 

話を戻そう。その太った女に私の脳やこころは読まれてしまい、そのぺったんこな靴で足でも踏まれたらと思うとひどくゾッとした。桃色の和紙みたいになりそうだった。きれいだったらそれでもいいかな、と思えた。・・・電車に揺られているうちに眠り込んでしまった。そこで見た夢が妙にいやらしかった。知らないうちに私の手は、隣の知らない女の手にそっと添えられていた。女の顔は見えなかった。

 

指の細さや長さからすると、165センチは超えていそうだった。しかしそれしかわからなかった。ただただ、それだけだった。見ず知らずの女が眠っている私にそっと手を添えてきた。ただそれだけだった。昔見た夢を思い出した。幼稚園の頃の先生と小学生に上がったばかりの自分は公園の真ん中にいた。二人で座っていた。いますぐ、スイッチを押さなきゃ。と言われた。いますぐ と スイッチを押さなきゃの間に拍手をひとつでも入れられそうだった。自分はスイッチを探した。辺りを見回してもどこにもなかった。ここにあるの、と言われて先生の方を向くと、そっと手を握られた。間違いなくそれは僕と先生の手で、体温を感じていたと思う。でも温かさも冷たさもなかった。先生の手は先生のカラダの中心の方に間違いなく近づいていた。(いや、近づけられていた。)その移動はお腹あたりで止まって、ふとひらかれた掌を見ると先生の手の中にスイッチはあった。さっきまで握っていたのに気がつかなかった。ここを押してほしいの。と言われて僕はドキドキしながらスイッチを押した。表示がなかったのでONとOFFの違いがわからなかったが、順番でいうと、OFFからONにしたのだろうか。まあ、どちらでもよかった。先生の手のひらのスイッチを押すとあたりは真っ暗になった。その代わりに、目覚めた私の目には朝の光が飛び込んできた。朝になったのだ。

 

それから私は、眠れない人間になった。多分、そういうスイッチを私は押してしまったのだと思う。羊さえ跳んでくれなくなった。

*1:なんだったら就活って言葉も嫌いだ。就活自体はそうでもない、その呼び名が嫌いだ。