コメントを受けて

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 真っ赤なルージュの女がいた - ただの記録でしかない、

 

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村上さんはかつてヘビースモーカーであった自分と決別し、ひいては自分の持っていたバーも手放して、ランナー(トライアスロンの競技者)になり、職業的小説家として成り上がってきた。

 

 

いぜん、読書会をやってる人のブログに「読書会に参加したい」という旨のコメントが入れたことがあって、今回すっかり忘れていました。場所は新宿ゴールデン街、題材は最近NHKでドラマ化されて話題になった「窓ぎわのトットちゃん」。実はまだそれを読んでなくてなんで行きたいって言ったのかすらあやふやだったんだけれども、何かに惹かれたんだと思う。(おそらくはトットちゃんを務めた満島ひかり) 買わなきゃ読まなきゃと思っているうちに、その日はやってきていました。確認してみると今日、無念。・・・おそらくそのコメント主は、そのアカウントからの流入でやってきたのだと思うけれども、私はこのコメントを受け、とても嬉しくなっています。実は以前、ブログをこそこそと読む誰か数名に「(村上さん)意識してるでしょ」と言われたことがありまして、最初は何が?どうして?やめてよ、と思うことばっかりだったんですけれども、最近ようやくその恥ずかしさをよそに「ああ、ここがそういうことね。」と分かってきました。ところが意識はしていません。無意識下のことまできかれたらなんて答えたらいいんだろう。とても難しいところですね。・・・先のブログ記事については何と言えましょうか…。まぎれもない自己満足の塊です。あえて説明すると(本当は意味のない文章に語らせておきたいんだけれども) ただ、自分がランニング(走り)の中で感じてきたことを断片的に置いてみた文章です。実際この間走ってみて、思ってきたことを掘り返してみて、ちょっとした遊び心でくわえました。7年間、専門的走ることに向き合う中で思ったことをどうにか言葉に文章にしたかった。それはね、コメント主が指摘するとおり「自意識を扱ったもの」なんです。自意識の中でうごめくいろんなものを捉えて、それを一つにまとめるのは本当に難しい。けれどもそれがしたかった。それはいつもいっていることなんだけども「話すように書くのは難しい」とかいう至極、個人的、感覚的なできごとの集合だったんですね。どっかでは繋がってる。井戸と井戸が離れていても繋がってるみたいに。まあでもあれが今でもよくわからない。・・・走る中では時々、個々の物語が過度に表出することがあって、それはね現実の自分と過去の自分とか、現実の自分と未来の自分とかを無理くり結びつけることなんです。どこにも意図はないけれど、時間がそれを後押ししてくれる。はあ。・・・言葉って不思議ですよね。たいして地位の中人が信憑性のないことを語ることを、時として誰かは認めてしまったりするから。私がいうこと綴ることもその中の一つであってほしいです。誰かが認めてくれればいい。どんな形であれ、ビジネスにふさわしくない、と言葉では言われずともそう思われたって、いい。(安心してください。まだ私は、「味のある文章書くね」と回りくどい嫌味しか言われてませんから。ええ…)・・・さっき言ったことはつまり、単に現実世界を精一杯生きている様じゃ見えない自分が出てくるということなんです。あの時に出会う自分は一体誰なんだろう、と。それで附け加えるとね、そいつを客観視して誰なのか判断を下そうとするこいつは誰なのだろうかとか。走ることとは、そういう自己の多面性に出会い、ひいてはそれを認め、さらに極致まで見つめ続ける作業の繰り返しで(も)あるんだと思っています。いまでも。走る私は何者なのか、私が走る時目標とするそれは何なのか、私が走らない時目標としたそれは何だったのか、、、、。延々と回り続けます。そう、風はずっと回っている。・・・現に私は、村上さんを意識して文章を書くことなんてできませんし、能力としてそもそものところ限界がある。読みながら気に入った箇所を引用することはあっても、表現として持ってきて置き換えることはしませんね。だいいちに、世間の中の社会一つとってみてもなにかも知らない若者が、感性も乏しくて彼の文体を真似たりするなんてこと自体現実的、物理的に限界があるんです。パロディやオマージュにすらならないほど自己満足に満ちたことば達の陳列です。(ナンタラカンタラ陳列罪みたいなのがないかぎり捕まらない)いくら彼の文章や文体をリファレンスしようとも、手をかけられないほどの高みにいるのだから。・・・ですがそれを、私ではない誰かが読み、またある箇所にあるいはある段落に「村上さんらしさ」や「村上さんみたいなにおい」を見出すことが、もし、もしあるのならば、それは私にとってこの上ない喜びであって、そう言った意見は一つ残らずたいせつにしたい。そういった人たちは多分、それを読んでて愉快ではないと思いますけれどもね、私と誰かが共有したなにかがあるからたいせつにしようと。・・・つまるところこの問題は、彼の文章を読んできて獲たこと、分かったことが、何かの折に結晶となってオモテに出てきているだけなのかもしれないんです。真似事ではどうにかできない自分の書き物が、何かの拍子でそれらしく丸みを帯びてきたり、角ばってきたのかもしれない。まず、今の僕にはそう考えるほかありません。・・・20代から30代は死ぬ気で働いてたという村上さんのことばが、今のところ心の支えというか、頭上2メートルくらいのところにある言葉で、そのうちはまず仕事を辞めることなんて考えられません。ふーん、そうなんだ。まあまず生きるのに頑張ってみなよ。って言われたいなあ。・・・酔って書く文章は危ないなあ。また恥ずかしくなるやつだ。まさに真夜中のラブレター現象。