「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

山形県 山形市 石田ゆり子町

 

 

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バックミラーをのぞくとそこに石田ゆり子が写っていた。肌は白く、緩やかにウェーブした茶色い髪はよく似合う。白いブラウスは、シワ一つついていないように見え、清潔感をあたえた。とても綺麗だった。引き続き私は車を走らせた。バックミラーから分かったのは白いフォルクスワーゲンということ。調べてみると車種は、2017年4月にリリースされた新作らしかった。確かにその白は異様な輝きを放っていた。

 

石田ゆり子が白のフォルクスワーゲン・ポロ(Polo)に乗っているのは全くおかしいことではない。ところが時期が時期だった。山形の街の(東京なんかと比べてしまっては街と呼べるかさえあやしいが、私はこの街が好きだ。何ひとつ揺らぎない事実として)ど真ん中を悠々と走っていること自体に問題がある、と思った。

 

果たしてあの石田ゆり子は、この日差しの強いゴールデンウィークにおいて、サングラスひとつ身につけず、白のフォルクスワーゲン・ポロを無警戒かつ不用心に運転するだろうか。それがまた、山形という県庁所在地の市内が辺境地のようなところを、氷上を軽やかに滑るように運転するだろうか。

 

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父は漫画にふけり、また祖母は「暮しの手帖」に没頭し、祖父は乾いた田畑に汗を落とすこのこどもの日に、私は純喫茶をもとめて車を走らせた。ここ数日の日照りは異常だった。昨日、北海道の最高気温は30.4度ほどで対極にある沖縄の最高気温を越したという。

 

市内の道という道は予想のとおり人が多かったが、私はそのことを喜ばしいように思い、神戸や金沢などのナンバーを見つけると、遠くからご足労です、お疲れ様、と心の中で声をかけた(確かに蕎麦は美味しい)。・・・街ゆく人のほとんどは笑顔に満ちていて、あるいは楽しそうにしていて、こんな日光を真っ向に浴びてしまうと干からびるんじゃないかと思ったが、皆の手には何らかの形で水分があった。コンビニや自販機はすごい。時代が違えば私たちは水ひとつ得るために何里もの道を歩いたり、あるいは馬にまたがって移動しなければなかったかもしらない (日本では1里は約3.9キロメートル)。それこそ道端に井戸があれば別であるが…。

 

古びたトタン屋根の日陰に腰掛ける老人は、手に持った缶コーヒーをこぼさないように丁寧にすすった。老人は目の前にみかんがあっても気づかないようなくらい目を細め、何かに集中していた。何をみていたのだろう。きっと、私には見えない何かを見ていたのだろう。

 

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・・・結果的に私は純喫茶に行くために30分100円の駐車場に入ろうとしたが、私の運転技術の甘さなのか、車体から見て物理的に無理があったのか、あと一歩のところで入るのをやめた。(やめたというよりも断念した) その駐車場奥にはベビーカーを押す女性と、赤ちゃんを抱っこする女性が立っていて、私を心配そうにちらりちらりと見た。私は何度もハンドルをきり、後進の駐車を試みたけれどもダメだった。私はその場にたえきれず、切り返せるほどのスペースを保ったことを確認してから出た。結局のところその狭い狭いコインパーキングでUターンだけをして、きた道に戻った。そのコインパーキングに5分ほど費やした。・・・

 

山形はヤマガタと言うだけあって、単に山が多いからその県名になったのかどうかは不明だが、県公式HPの一説によると、由来は以下のようなことらしい。

 

山形県の「山形」は、平安初期の資料「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に今の山形市の南側を「山方(やまがた)郷」と言ったことに由来があると言われています。なぜここを山方と言ったかは不明ですが、今の山形市より見て南のほうには、山岳信仰で知られた蔵王、瀧山(りゅうざん)の山々があります。

そののちこの山方という地名は、いったん資料から見えなくなるのですが、南北朝時代斯波兼頼が政治の拠点をこの地に置き政治が安定してくると、土地売買の文書などに山形という地名が改めて見えてくるようになります。

http://www.pref.yamagata.jp/bunkyo/bunka/about/803profile.html

 

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父方の家が山形で、母方の家は米沢にある。こう言ってはなんだけど、平地である市内からはどちらも面白いくらい四方八方に山が見渡せる。米沢は特に米沢盆地と言われるだけあって、夏は暑く冬は特に雪が降る。ここ最近、自然界のいろんな情勢は変わりつつあって昔ほど雪は降らなくなったようだけど、それでも一晩あれば平気で膝まで積もる。山形市内はもちろん場所によるのだけれども、あまり降らない。それこそ四方八方に広がる山の中腹くらいまで行けばたくさん積もるだろう。

 

さくじつ、標高1400mを超えて、福島県裏磐梯に行ってきた。軽井沢のような避暑地で、観光客でいっぱいだった。看板はわざと鮮やかでないもので統一されていた。(どこが仕切っているんだろう、ナントカ観光協会?)私は写真を撮りそこねた。この春に山肌をまっしろに覆う雪を遠くから見ていたのだけれども、峠を越える道すがらそれは現実のものとなった。

 

ここでまず特筆しておきたいことは、5月の、それも気温の掲示板は27度を示し、日光がさんさんと注いでいるというのに雪はどっしりと構えて動こうとしなかった。なだれに注意という看板があったが、そんなところでなだれに遭ったならまず回避できずに流されるだろう。四人で笑っていたが私は内心ひやひやし、冷や汗が止まらなかった。さらにもうひとつ記しておくと、休憩地点で雪の壁などを目にして、デジャヴュがよぎった。(雪の壁と顔のない女 - ただの記録でしかない、

 

断崖絶壁、斜面にせせり出る雪の地面を怖がる祖母に「それ以上は危ない」と無意識的に私は声をかけた。あとで「あれは怖いっけね~」と話す祖母に、私は笑ったがこれまた内心では恐怖していた。夢をそのまま書き写したことがそのまま現実になったなら、またそれがもし祖母を転落させるようなことに繋がったらと思うと、まったくもって笑えない(そこには言葉に表し難いアンビバレンスな感情があったんだ)。

 

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・・・もちろんあれは石田ゆり子でなんかなかった。市内を悠々と回れるほど豊かに時間があり、また、それを買い与えてくれるほど頼もしい主人がいる別の誰かだったんだろう。もしかすると仕事においてやり手で、その白いフォルクスワーゲンのポロは自分で購入したのかもしれない。それでも私の中では今日1日をとおして、山形と石田ゆり子が密接なつながりをもった。(とてもとても密接なつながりを持たせてしまった)・・・

 

私は諦めてトボトボ河川敷の道路を走らせた。まだ見える山には濃いピンクの桜が見頃のように豊かに咲いていて、誰の邪魔もしないように優雅に振舞っていた。一方、山の緑は不思議で、さまざま緑色をもつ。それこそ山あいの緑色の種類分けを丹念に試みたなら、数百円で買える色鉛筆のセットではこと足らないだろう。

 

あえなく私はこの山形において、仕方なく2度目のスターバックス・コーヒーを迎えた。アイスコーヒーに氷を少なめにお願いすると、女性は、愛想よく笑い、お釣りとレシートと氷が少なめのアイスコーヒーを手渡した。室内の席が埋まっていたわけではないが私は外のテラス席を選んだ。背負っていたバックを椅子にかけ、腰を下ろすとそこにちょうど石田ゆり子の乗った白いフォルクスワーゲン・ポロが滑り込んできた (あれはまぎれもない石田ゆり子だった)。私はしばらくそこに固まって、テラス席に置き去りにされたベビーカーを見つめていた。