引き出し・アンダーグラウンド・サラリーマンになること

 

 もし誰かが私をモチーフにして表現する時、私はどう描かれるだろう?

 

 

 

 

 

どれだけ自由に、思い出の抽斗を開けたり閉めたりできるか、ということをこのぐらいの歳になってやっとわかった。これは記憶力とかそういう問題ではない。なんというか、その、あれだ。

 

 

 まず抽斗があることを知らなければいけない。抽斗を見つけて自由に「開け閉め」できることを覚えなければいけない。ないし、その抽斗にいろんな思い出が詰まっていたり、小さなものなら奥の方にこべりついていることを認めなければいけない。それは例えば、集合ポストに詰め込まれる不要なチラシが奥で知らぬ間にクシャクシャになってしまうようなものかもしれない。とにかくそれを知らないで過ごしていると私たちはいつの間にか「思い出」を作るためのエージェントになり、奴隷になって、何でもかんでもやらなければ気が済まない。(それはそれでありだけど私はなんだか面白くないと思っている。新しいことにチャレンジするのとはまた異なるのだ)何か記録として残しておきたい写真であったり文章であったり絵であったり、やりかたはいくらでも揃ってるから。

 

 思い出や記憶は日々更新される。過去の自分や他の誰かによって描かれる私は、あらためて振り返ってみると変化して見える、どうしてかは知らない。

 

 

 

 新宿のハンバーガーはとても雑だった。けどケチャップが多く盛り込まれていて嫌味はなかった。学生時代にいろんな機会があって歩いた道をたどってみる。いつか歩いたことがある道は、ひとりだったことが多いが、その時々誰かと歩いたこともあった。誰と歩いたのか、をよく思い出せないがそれはそれで楽しい。ここ数日、私がまだ知らない顔を持っている東京との距離が、少しだけ縮んだような気がした。

 

 

 東口を出て、北の方角に向かって歩くと地下へつながる入り口が幾つか現れる。その一つに入っていくとその地下2階にカフェがある。そこは思ったよりも暑かった。私はスラックスのようなグレイのパンツに細かいドットの入った青目のシャツを着、その上に綿でできた藍色の軽いジャケットを羽織っていた。歩くと歩いた分だけ汗が吹き出た。季節はもう春だった。気づいた時には夏に切り替わっていた。私の生まれた9月は夏だろうか、それとも秋だろうか。

 

 

 地下鉄のホームを歩いていた時、声がして振りかえった。カップルの女の方は「それ壊れそうだよ」と言った。強い口調だった。男は小型のグレイのキャリーケースをひきずっていた。確かにそれは2歩歩くごとにガタンガタンと音がして、少しだけ奇妙に跳ね上がった。「もう最悪」と男は言った。

 

 

 地下2階はいるだけで酸素が薄く感じられた。息苦しいという表現でこと足らない。例えるなら私がすみかを選ぶとき、その場所だけは必ず選ばないだろう、そんな場所だった。奥に進むと目当てのカフェが見つかった。カフェは地下通路よりもさらに空気が足りなかった。さいわい客があまり多くなかったから、ここで時間を潰そうと思い直した。コーヒーをもらいソファに腰掛けた。

 

 後ろからクシャクシャと音がした。なんの音なのか、少し考えてみた。もしかすると、誰かが何かの当てつけか嫌がらせで、私の耳元で紙を「クシャクシャ、クシャクシャ」していたかもしれなかった。だがそんな思い当たる節はなかった。こんな都会の人混みの中で、いちいち人ひとりを相手にしていたらキリがない。

 

 よく急停止する列車で多くの乗客はよろめいた。一人の女性は私と横にいたサラリーマンの方にぶつかってきた。隣のサラリーマンは全く怒っていなかった。彼女は4度くらい頭を下げて丁寧に謝った。もう一人のサラリーマンにだけ。私はもしかするとサラリーマンではないのかもしれない。実際にその時はまだ入社前だったから、いくらセミフォーマルな格好をしていたとはいえ、まだサラリーマンに見えなかったのだろう。透明人間になったような、なんだか不思議な気分になった。私たちはスーツを着ている時にサラリーマンになる。だがスーツを脱げばサラリーマンでなくなる。大人は皆大変だ。おじさんたちの朝はとても忙しい。

 

   ついでにもう一つ書いておこう。横ならびの席の端に座るおじさんは頭が禿げ上がっていてそれはとても見事なものだった。俯いてコクリコクリしていたからよく見えたのだ。混雑時、席に一番距離が近いところに立っていれば、あわよくば座れるチャンスが回ってくる。(これは本当に、不安定で不確実という意味において「チャンスが回ってくる」という表現がぴったりだと思う) そのおじさんの首元には光る飾りがあった。おそらく社名が反映されたバッジだった。そのアルファベット三文字を手元の機械で検索してみると「日本コンクリート工学会」というところだった。世の中いろんな仕事があるものだなと感じた。

 

 

 ソファ背後にあるスリガラスの向こう側は、喫煙スペースになっていた。そこでは私と壁とすりガラス一枚を隔て、おじさんが座っていた。また彼は髪が薄く、くたびれたワイシャツを着、スマホのゲームと新聞を代わり番こに相手していた。

 

 私は熱心に村上さんの『騎士団長殺し』を読み進めていた。主人公「私」はとある病室の隅から、地下などと軽々しく言えない「異世界へのいりぐち」に潜っていった。「顔なが」を懲らしめた後だ。主人公の「私」は、極度の閉所恐怖症であるにもかかわらず、その先真っ暗闇の中を進んでいく。葛藤を乗り越えながら。重力と引力に従うが、自分が平常通り立っているのかもわからないまま進んでいく。姿勢は不安定だった。途中、体の節々が痛み始めた。二人の女性の「声」を頼りに、いや、すがるようにして「私」は意志に逆らいながら、暗闇の奥へ進んでいった。

 

 

 

 すみません。すみません、すみません。

 

 隣に座った二人のサラリーマンは、私に何度か声をかけていた。私はそれになかなか気づかなかった。(おそらく3度目に気がついた時)あまりにも大げさに驚いたから二人もびっくりしていた。二人のうち一人が私にライター持っていませんか?と訊いた。私は自分がライターを持っているか考えて見た。持っていないはずなのに、なぜ考えたのか。持っていると思った。黒のポーターをまさぐった。これは先日、父から譲り受けた。父は私に、このカバンは父が(どのタイミングだったか忘れたがある場面において)初めて持ったカバンなのだと教えた。じっさい押入れの奥から引っ張り出してみると、多く埃をまとっていたし、かたや金具は部分的に剥げて緑色に変色していた。とてもじゃないが綺麗とは言い難かった。しかしこれは、じっさい手で持ってみると不思議なあたたかみというか、安定感と高揚感を私にもたらした。奇妙な感触だった。それを父は丁寧に拭いたのだろうか、ある程度綺麗になったものを私に譲り渡した。

 

 

 そのカバンの中には綿棒ほどの長さの懐中電灯と未使用のティシュが入っていた。それに紛れてライターが入っているような気がした。私はそれを見つけ、カチッカチッと試しにつけてみた。大丈夫、点く。サラリーマンの一人に手渡した。「私はそれを使いませんで持っていってください」そう伝えた。彼らは、そんなにもというくらい私に礼を言った。彼らは一様に立ち上がり、喫煙スペースに入っていった。

 

 

 

 私がトイレに立った時、試しにそのルームを覗いてみた。ちょうどその二人がタバコを口にくわえ火をつけようとしていた。しかしそこで点けられようとした火は、私が手渡したライターによってではなく、誰もが仏壇などで一度は目にしたことがあるような、一般的なマッチ箱によってだった。点かなかったのかと思った。いや私はライターが点くことを点検して渡したはずだった。私は何が何だか分からなくなって、そそくさとトイレに駆け込んだ。なるほど私は二人のサラリーマンにただ「ギフト」したのだ。

 

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