何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

カーテンがあるかないか

 私は、傘についての言及を昨日した。そしてことごとく今日の私は雨に濡れた。

 

 就職先へ郵送で提出する書類を持って転居先のマンションを後にした。エントランスには宅配ボックスと郵便ボックスの二つがある。そのふたつは説明するまでもないが、あえて補足すると、前者は私がマンションに不在でも配達物を保管しておいてもらえるすぐれものである。私も得をするし配達員も得をする。まさにウィンウィンだ。またこれは、そのマンションを選ぶ段階で知らなかったことだ。契約寸前の内覧時、不動産の男が思い出したように、またとってつけるように私に教えた。

 

 

「これあるとね、便利ですよ!僕の住むところにも欲しいくらいだ」

「引っ越せばいい。」と思った。

 

 

 昨晩記事を書いてからごはん屋を目指して歩いた私はその辺の地理が大体つかめるようになっていた。どうやら私は、蕨市戸田市さいたま市の三つが隣り合うところに住むらしい。それは数分歩けばそこが蕨市になり、また数分歩けば戸田市に切り替わり、そしてまた折り返すとそこはさいたま市になる。住まうマンションと最寄り駅の道のりで、市をまたぐ必要性は私を少し不思議な気ぶんにさせた。考えすぎだろうか。

 

 郵便局を出ると雨がしとしとと降っていた。手元に傘は握られていなかった。路上をあるく私と天を隔てるものは何もなく、自然と何ひとつおかしいことはなく、雨は私の衣服や髪、足元を濡らした。引き返してマンションに戻るのもアリだったが、そこで出くわす塗装屋か清掃屋かわからないアンちゃんたちとまた顔をあわせるのにためらいを感じた。私は文句を言わず雨に濡れることを選んだ。

 

 建設系の職業訓練学校の玄関では一人の女性が長いタバコを吸っていた。ふたたび私が見た時には彼女はその火をもみ消し、もう一本新しいタバコを出して火をつけた。

 

 駅の方に向かって行くと、腰がやや折れ曲がった女性が傘をさして歩いていた。私は早歩きするわけでもなかったのに、徐々にその女性との距離が縮んでいくのを感じていた。その女性は3歩か4歩あるくと立ち止まり、何か急に思いついたように空を見上げた。当たり前だが、空を見上げると雨粒が彼女の顔に落ちてきたはずだ。私が見ただけでは4回、雨降りを何とも思わないように彼女は立ち止まった。彼女の目線のさきに何があるんだろう、と駅までの残り5分間考えていたが何も思いつかなかった。そこにはファミリーマートと駅近くに建てられた高層マンションしかなかったはずだ。

 

 私は傘を持たないで出てきたことを後悔していなかった。しかしそれが、昨日あのような記事を書いておいて「悔しい」という意味では学習しないな、と思った。

 

 

 カーテンは私のつくばの部屋にまだかかっている。なのでまだ私は、さいたまの部屋でカーテンをかけることはなかった。外からは中身が筒抜けだった。ベランダ側をみると目の前には団地がある。内見後、初めて訪れた日、昼過ぎについた私が部屋でリュックを下ろした時、その向かいの団地に住む女性と目が合うと、その女性はすぐさまカーテンを閉じた。サッと。音が聞こえてくるようだった。そこは二階だから歩く人から私の部屋が見えるわけではない。(というか、団地との間は向こう側の団地の駐輪場になっている。)とはいえ、乱立する団地の高い階層から私の部屋はよく見えるだろう。

 

 

 私はそこで、いつしか習ったミシェル・フーコー*1の『監獄の誕生』を思い出した。そこで出てくる「パノプティコン」という装置は、かつてジェレミ・ベンサム*2が考案したと言われる。フーコーの記述によってその近代的な監視システムは注目を集めた。

 

 

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【画像は、グーグルで「パノプティコン 画像」で検索したもの】

 

 管理するものは中央から円環状に並ぶ囚人たちを監視することができる。しかし、囚人から管理・監視するものの姿を認めることができない。そして「囚人同士の接触はなく、常に看守の監視下にあることを意識」させる。

 

 つまりそこに入れられた囚人は、中央の看守から見られていてもそうでなくても、得体のしれない誰かからまなざざれているような感覚におちいる。それが心理的な抑圧につながると言われる。

 

 このような施設は「一望監視施設装置」などと呼ばれ、たびたび心理学や政治学社会学などの領域 で扱われる。

 

私は悪いことをするわけでもなしにそわそわし、何かに費やすやる気が削がれた。読んでいた本を閉じ、生産性のある作業に没頭するわけでもなく、ただダラダラと漫才を見ていた。ユーチューブはとても便利だ。やがて日付をこえると電気を消し、PCを閉じ、寝ようと試みた。とても寒かった。そしてエアコンの風をいっしんに受けるのは居心地がよくなかった。しかしそのエアコンを消すことはできなかった。春の夜はよく冷えた。それがいくら埼玉であってもまだ暖房は必要になる。

 

 仕方なく私は、カーテン代わりに吊るし、掛けていた布団カバー(業者が置いていってくれた)を取り外しそれにくるまった。私はいくら暑かろう夏であっても、なにも肌にかけずに寝ることはできないのだ。ふだんは比較的おおきいタオルケットをかけ、何かに包まれている感覚をだきしめながら眠る。

 

 そこでは業者が要らなくなった布団カバーが役立った。私は今朝、4時、6時、7時に一度ずつ目を覚ましたが何度も眠った。結局11時半に体を起こした。布団は薄く、部屋も冷え切っていたが、私はなんとなく清々しい気持ちになっていた。業者が要らなくなった布団カバーでその一晩耐え忍んだという事実だけが、私を清々しい気持ちにさせた。起き上がり、ころがった衣服を回収し、コップに溜めた水をすて、すでに届いている洗濯機のトビラをひらいた。そしてその脇に、色あせた藍色の傘をおいたまま家をあとにした。

*1:フランスの哲学者

*2:イギリスの哲学者、経済学者