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ドアの向こう側に立つ人 

 

私はキリスト教に何もかも「無関係か」と言われると「そうではない」と答えるほかない。それなりに無縁な生活を送ってきたつもりだが、それはただ「宗教」を意識してこなかっただけであり、身も心もまったくもって関係を持たなかったわけではない。例えば「お陰さま」や「有難うございます」というのは「儒教」の思想に由来がある。われわれは年を経るごとに、そういったフィールドに足を踏み入れ、ずんずんと奥まで入っていくのだ。

 

生活のいたるところに「宗教」はある。すなわち私たちは「宗教」とともにある。私たちに馴染み深くなった(日々更新される)「都市的生活様式」は、日本人独特の「宗教観」を絶え間なく作り出しているのではなかろうか。

 

 

私の幼稚園からの友人は中学生の頃、亡くなった。北京五輪で日本の女子ソフトボールチームが金メダルを獲った夜だ。彼は夜中の2時ごろ、日本の世界一を見届けてから風呂に入った。明け方、明かりの点いた風呂場を彼の兄がのぞいてみると、彼は浴槽の中で息を引き取っていた。冷たくなった浴槽で彼の体も冷たくなっていた。私もその真夜中に日本の世界一の瞬間をみていた。

 

 

彼の家はキリスト教信者であったらしく、彼の亡骸をどうするかという時に両親はお墓を作りたかった。「なるべく家から見えるところ」というのがふたりの希望だった。いくつかのお寺を回ったが「宗教上の理由」から、彼の両親は断られ続けた。何件も回った末、中学校の前の道路を山に向かって登って行く途中にあるお寺は、ふたりの希望を受け入れてくれた。周りの人もとてもよろこんだ。私も、ふたりの喜びに少しでも共感することはできる。

 

 

その時の私は「世の中にはいろんなしきたりや制度があることを知った」ことだろうと思う。

 

 

 

 

彼が亡くなり3年が経った頃、私は高校2年生だった。私は16歳になり彼は14歳で止まっていた。その年の春、あの大きな震災があった。私は生きた。彼が亡くなったのは8月だったが、私は時期も気にせず彼のためにお墓まいりに出かけた。

 

鬱蒼とある茂みをかき分け、坂を登り、彼のお墓の前に立った。振り返るとそこは深い闇に包まれていて、私に後戻りができないような感じを持たせた。

 

一般的にこわがりな私はどうしてそこを抜けてこれたのか不思議で仕方がなかった。私は彼のこともそうだが、何より彼の両親のことが頭をよぎりそこで泣いた。

「初めて全国大会に行くことができたよ」と報告をした。

 

私は、なんら意味をもたないこの報告に彼はただ頷いているような気がした。そこでは虫もよく鳴いた。私はこと細かに近況の報告をしながら静かに泣き続けた。報告を終えた私は涙を拭きながら、その茂みをかき分け自転車のある場所まで急いで戻った。大きくはねる心臓の音がしばらくやまなかった。

 

彼の両親がやっとの思いで見つけたそこは本当に見晴らしが良い。私たちの通った中学校、小学校、そして幼稚園までも見渡すことができる。彼の家は実際に見えるわけではないが、方角として正しい位置を認めることができる。

 

沿岸部や海沿いの地域も見える。例の地震によって引き起こされた巨大な津波は、確かにその地域を飲み込んだ。かつては防風林として機能した木は、今ではいかにも寂しそうにポツンポツンと立っている。

 

 

その墓地に眠る彼は、両親の手によって、あるいは他の誰かの手によって救われただろうか。時折今も思い出しては、考えてみる。

 

 

 

 

その夜はシトシトと冷たい雨が降っていた。夜8時頃、突然ピンポンが鳴った。

 

「はーい」 と返事をすると

「こんにちは」 とだけ返ってきた。

 

(だがその時は「こんばんは」の時間であったはずだ。)ピンポンと電話のベルはいつも急で、同時に何か訴えかける響きを持っている。だがその両者は共通して「予感的なもの」を伴っていることがある。来そうだという時に来ることもあれば、来なさそうだというときにはやって来ない。その中にときどき「唐突さ」や「予感的なもの」を見つけることができる。

 

 

 

私はその返事から、声の主はやや歳のいった女性であるという情報だけ得た。私の部屋は(それがいつからか分からないが)中から玄関外を覗ける穴が、まるで濃い霧が掛かっているように視界がふさがってしまっていて、来訪者がどんな姿形をしているのか、判断できない。

 

しかし私はそれに不便を感じることなく放っておいた。訪れた者が私の部屋を知る知人であれば何らかの連絡を一報入れるはずだし、配達であったら事前に予定されていることが多い。あるいは大きな配達にカウントされないような郵便物や手紙であれば、郵便受けに投函されるか、エントランスに設けられた別個のポストに入れられるだろう。

 

じっさい、別個のポストは私が3日前、軽井沢に出かける日に撤去された。去年の秋、このマンションのエントランスに張り紙がなされた。「この頃郵便ポストの中身が紛失する事件が起きています。何かございましたら当不動産までご連絡ください。」というような旨だったと思う。じつは私も被害者の一人であったが、運良く解決されたので問題なかった。そんなこともあり今のこの建物には、各ドアに設けられた郵便受けしかない。

 

 

ベルを鳴らす者は大まかに二種類に分けられる。事前に連絡する者と連絡をせざる者。後者は特に、その重いドアが開かれることを強く望んでいる。切望している、と言ってもいい。私は、唐突な来訪者にはあまり近づくべきではない、とかねてから心がけていた。そういった意味では用心深かった。

 

しかし、その夜の私は気が緩んでいたのか、連絡をせざる者のベルに安易に反応し「はーい」とあまりに呑気な返事をしてしまった。これでは居留守が使えない。私は諦めて、少し歳がいったと思われる女性のために重いドアを開けた。

 

 

 

 

ドアを半分見開いたところにすっぽりと挟まるようにして顔をのぞかせた女性は傘を手にぶら下げていた。 

 

「こんばんは」

「私、近くの教会に出入りするものです。こんばんはよく冷えますね」

「そうですね。いま雨が降っているのですか」

「はい。雨は少し弱くなっていますがとても冷たいです」

 

 

その時重いドアの陰になって見えなかったのだがそこには(女性の年齢と釣り合っているように見える)夫と思しき男性が、女性と同じく手に傘をぶら下げて突っ立っていた。彼らの傘からは水滴が何滴もしたたっていた。どちらも柔らかな表情をもっていて、相手の警戒させるこころを自然と解きほぐすような雰囲気だった。

 

 

 

彼らはこの周辺を練り歩き、いわゆる「布教」のようなものに勤んでいた。だが、その宗教的活動は、一般に「宗教」が人間に(それも特に日本人に多い)毛嫌いされてしまうような「布教」ではなかった。そして彼らはどこから捻出されているのかわからない「新約聖書」をされかれ構わず配布していた。私としては「新約」であろうが「旧約」であろうが関係ない。 

 

 

「今日は雨も降って寒いでしょう。定期的にここら辺を回っているのですか。」

「定期的に、ではありません。私たちは来たるべきタイミングがあってここら辺を回らせてもらっています。」

「来たるべきタイミング。」

「そうです。私たちはあくまで自発的に来たるべきタイミングを待っています。お兄さんは今大学生ですか。」

「はい。」

「大学生は楽しいでしょう。いや、それとも、辛いですか。」

 

 

 

私はいつの間にか、その老夫婦に対して(それがじっさいに老夫婦かきちんと判断できる情報は得られなかったがそのような空気を身にまとっていた)身内のことや世間話を繰り出していた。聞かれたことには答え、聞きたいことは自ら問うていた。

 

 

約15分くらい話した頃だろうか、彼らは、

「それでは、そろそろ」というので、なぜか私は申し訳なく感じて

 

「寒いのに長々と話し込んですみません。雨も降っていますから、この先もどうかお気をつけて」

と口にした。彼らはその言葉に対して特に驚いたりする素振りを見せず、

「こちらこそどうもありがとう。大学生さんと話せて楽しかった。なにせ大学生の方と話す機会は少ないものでね」と、男性の方が寂しそうに言った。

 

 

その出来事はわたしにとって、宗教的なものを考えるきっかけになった。

 

 

 

 

 

 

私は例のごとく、引越しのために荷物を整理していた。本棚として活用していたカラーボックスの奥に『聖書 マタイによる福音書』という表紙の小さな冊子を見つけた。本と本の間に挟まっていたのでそっと引っ張り上げた。それを引っ張り上げた時私は、あの夜に起きた出来事も一緒になって引っ張り上げたようで、こうして今ものを書いている。

 

 

 

 あなたは聖書をお読みになったことがありますか。聖書はベストセラーであり、歴史を通じて最も広く頒布されてきました。また、聖書ほど多くの言語に翻訳された書物はほかにありません。世界の美術、文学、音楽の最高傑作の中には、聖書の影響を受けたものがたくさんあります。

 とはいえ、これまで聖書に接する機会もなく、聖書についてあまり知らない方も大勢おられます。宗教に関心があるかないかは別として、聖書は生涯で一度は読むべき本であると感じている人は少なくありません。聖書はおよそ千六百年の期間にわたり、約四十人の人によって書き記された六十冊の本からなっています。また、この「マタイによる福音書」はそのうちの一冊です。

 この一冊を通して、あなたが聖書への関心をより深めてくださることを願っています。

                       発行者 

 

 

 

 

 

 *  *  *

 

 

ところで、その小さな「福音書」を引っ張り上げた時、「生物 I」と「生物Ⅱ」の教科書を見つけた。それは高校を卒業する時、友達の女子からもらったものだ。彼女について補足すると、彼女は現在「女」としてではなく「男」として生きている。私の記憶にある彼は「彼女」のままであるが、その彼女は現在ひとりの「彼」としてある。そのため彼は、自費でお金を調達して性転換手術を行った。

 

 

彼は俗にいう「イケメン」だった。「イケメン」という呼び方や形容の仕方が彼にとってどういった苦痛を与えていたか、今の私には計り知れない。だが、あくまでもそれは「彼」にとって、ひとりの女子高生であった頃の「彼女」にとって「イケメン」というのは、ひとつの「褒め言葉」であったらしい。どこまでが本当のことかは分からないが。

 

彼にとって「男性的な仕草」を惜しみなく振るまえる「男性」は羨望の対象だった。(詳しくは聞いていないのでよく書けないが)彼女はその「仕草」などをそれこそ異性との恋愛の中で見いだすことはできず、その欲望はしばしばスポーツやファッションなどにぶつけられた。そして「いつかは自分が男になる」ことを望んでいた。

 

だがその「望み」を親は許さなかった。彼は小さい頃から「女の子らしい」格好を強いられた。それを拒みながらも受け入れ、なんとかして生きていた。「スカートを履くことが論外だった」と語った「女子高生」の頃の「彼」は、高校生活でスカートの下に赤いアディダスのハーフパンツを履いていた。いつも。それがたまに緑色のスクールジャージである時もあった。

 

それは一般に言われるような「スカートの下にあるものを見せたくないから」でなければ、「寒さしのぎ」に履いていたわけでもない。心としての彼は「スカートを履いている」という事実を受け入れられなかったため、苦し紛れにスカートの下にアディダスの赤いハーフパンツを身につけていた。

 

ずっとスカートの下にハーフパンツを履いていた「彼女」は、先生に相談していたのだろうか、とふと考えてみる。もし仮にその相談があった場合、相談に対応した先生は(私は彼と同じ高校であるからその相談があった場合、もちろんその先生ともある程度の面識はあるはずだ)きちんと向き合うことができていただろうか。

 

しかし、そこに「相談」のマニュアルはない。「女子高生」としてあった「彼」も人間であり、相談に対応しなければならない先生も一人の人間である。ここでは、良いも悪いも判断することはできない。もちろんこれは、誰も知られない。

 

 

 

 

私はその生物の教科書の裏面にある彼の筆跡に、4年の年月が経ったことを教えてもらった。字は綺麗だった。彼は、SNSの写真で見る限り、女子だった頃よりも髪は長くなっていた。ベージュのチノパンに茶色のブーツがよく似合っており、上半身は私が着てもおかしくないようなフランネルのチェックシャツを着ていた。元気だろうか。

 

(5016字)