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松岡茉優がかわいすぎてつらい 【編集・及び更新あり】

 

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私にとって松岡茉優はかわいすぎてつらいのだ。それ以上の言葉はいらないと思う。

一つ考えてみる。松岡茉優はトマトが好きだろうか。ちなみに私はトマトが好きだ。昔は嫌いだったが今はとても好きだ。冬、トマトが食べられなくなると苦しくなり悶えそうになる。私は、スーパーマーケットでトマトにそれなりにお金を払うこともよしとするだろう。

 

 

 

 

厚い木製のまな板に、通販番組で頻繁にみかける黒光りした切れ味するどい包丁を用意しよう。私は私の手で、大きくて瑞々しいトマトを4つに切って、それが松岡茉優の希望であればあらためて8つ切って、あおい水玉模様の皿に盛り付ける。砂糖をかけようかためらっては辞めておく。そういった繊細でナイーヴなことはキチンと相手の意見を聞かなければいけない。

 

 

日光が燦々とそそぐテラスに、ウッドデッキのテーブルと折りたためるチェアをならべておく。私は松岡茉優に会う当日、朝7時に起き、トマトをつめたい水につけ私はテラスに向かう。テラスで朝の新鮮な空気を肺に大きく吸い込む。空気が入れ替える。

松岡茉優と向かい合いながら切ったばかりのトマトを食べたい。私はそれだけを考えてきた。大きくて瑞々しいトマトだけを食べたい。他にパセリやレタスはいらない。コンソメ・スープも要らない。私は通販番組で包丁を購入することを決め込んだ時からそれだけを考えている。そこで向かい合いフォークを交えることだけを考えていた。そこではナイフもスプーンも要らない。取っ手がストライプのように波打った銀色のフォークのみで事足りると思うのだ。

 

 

テラスに皿を運んだ時、私はその重要なフォークを忘れたことに気づく。キッチンに取りにいくために立ち上がる。キッチンの壁は淡い黄色のタイルで施されている。そういえばかけるもの。トマトにかけるものといえば塩、砂糖、ドレッシングで迷いたい。ドレッシングはレモンのだ。私は砂糖を選ぶが、松岡茉優は何もかけないことを望んでおり、それで言い合いになる末、私は20年程度貫いてきたトマトに砂糖をかけることをあっさりとあきらめたい。松岡茉優のためなら、20年程度はどうってことない年月に過ぎない。

 

松岡茉優には先にテラスで座っててもらい、忘れたフォークを後から気づかれないように持っていく。

 

いざ食べるぞ、という時私は松岡茉優に、私はトマトが苦手なのと言われたい。そこではありがとうもごめんねもない。ただその一言だけを言い渡して、松岡茉優は静かに微笑みながらたちあがる。おもむろに立ち上がった松岡茉優は、私が丁寧に黒光りする包丁で4等分したトマトを(皿だけは力強く握り)テラスから見える青々と茂った草むらに放り投げるのだ。その時の私は、彼女の手にぶら下がる皿から滴り落ちてゆくトマトの液体をしずかに見守っている。日光を反射してその液体が何色か断定することはできない。赤くも見えるが緑にも見える。あるいは透明にだって見える。私は彼女のこわばる肩の筋骨に視線を移す