何を書くか、何を書かないか。

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『いかにもハイヒール』③ はじめまして

masa1751.hatenablog.com

 

 トイレに行きたくなったらその席を立とうと思った。

 味のしないガムをいつまでも噛み続けるのには相応の忍耐力が必要だったし、そして僕はいま、何より味が長続きしなくていい安物のチューイング・ガムを噛み、熱く濃いコーヒーでそれを溶かしたい気分だった。僕は仕方なく泡が失せたビールを呷り、隣の席のタバコの煙を眺めていた。隣の席では僕たちとは対極的な光景があった。男が一方的にトークを繰り出して、対の女性はまるで何度も聞かされた男の自慢話を決して邪魔することなく巧みに相槌を繰りだした。僕たちと異なるのはいかにも高級そうなワインを飲み、男はタバコを吸い、対の女性は僕よりも巧くたちふるまっていたところだ。

 相変わらず目の前に座る女はいつまでも話し続けていた。まるで壊れたおもちゃが延々と同じ操作を繰り返すように。あるいは、PCの便宜的な更新が延々と終えられずいつまでも再起動が達成されないように。女の話の内容は何点かに分散していたが、おおよそ似たような水路をたどって一つの結合部に合流していた。

ともだち大家さん。そして携帯機器について

 

 

 

 主要な三つのコンテンツは5周ほど回りながら地獄巡りした。それでいて彼女は相手に聞き飽きさせないようなコミュニケーションの話術を持ち合わせており、時に笑い、時に深刻そうな顔をした。僕に手渡される(というよりも一方的に投げられる)コンテンツは、固有名詞的な最小の単位になるまで無駄な部分がそぎ落とされていた。そして今生きている僕の所感としては、その話の内容が妙に思いだせなくて三つのキィワードしか手元に残っていなかった。だがこの三つを繋ぎあわせても決してまとまることはなく整合性はとれたもんじゃなかった。

 

 直截人と会って話をするというのは、僕の場合 (それが役割的な視点に立つと)つねに話を聞く役目を全うしていた。それが僕にとっては不快なことではないし、何より自分自身が時々それを望み、買って出ているところもあったので一概に苦痛なものと捉えられなかった。今回の一件もそのような形で僕から「直接会って話さないか」と持ちかけた。しかしとりたてて僕から何か伝えるべき用事があったわけではないし、取り込んで話したいこともなかった。「ただ生身の人と直接会って生身の話をこのからだに吸収させ、取り込みたかった」のだといつも咀嚼・嚥下・消化するようにしている。

 それにしても不運だった。彼女がその携帯を失くしたという話が3周目に差し掛かったころ、ふと僕の携帯はどこに行ったんだろうとそわそわしはじめた。それはまるで誰かが誰かに「お前の社会の窓開いてるぜ」とか「今日は寝癖がひどいな」と茶化すのを目にした(第三者的な)自分までが不安に駆られて点検しようとするような、あれと似たような感覚が降ってきた。彼女の話が途切れないように(それは使い慣れた一つの会話のスキルをつかって)何かを考え込むふりをして彼女の視線から目を逸らしながら話をうなずき、通りがかった人の背格好を見るふりをして足元の手持ち鞄をまさぐった。案の定そこに携帯はなかった。この時顔色を変えてはいけない。そして彼女に

「今何を見ていたの?」と問われるのは織り込み済みだった。その時は決まって

「あの人の背中に変なものがついてたんだ」とまるで驚きながら指さして

「どこなの?」と、興味津々に訊かれたのを

「ああもう見えなくなっちゃった」と残念そうに言い

「ところで何が見えたの?」というこの先は不必要とおもわれる質問は遮って、

「何の話してたんだっけ?そう、携帯だ。どうなったの?そのあと」とこちら側から質問する権利を獲得した。そうして普段どおりの会話を続けた。

 

 

どうやら彼女は毎回僕と出会うのが初めてだと思っているふうだった。

「どうやら彼女は毎回僕と出会うのが初めてだと思っているふうだった。」こんな風に書き残しているとそれがまるでとてもおかしいことのように感じられて、前後の文脈をそれこそ自分なりに疑うのだけどそこに誤りはなかった。

僕と彼女は通過儀礼的な「大人」になってから出会って5度目になるが(3度目にしてようやくこの重大な事態に気付くことになる)いつも変わりなく初めのあいさつは「こんばんは」でもなく「お疲れ様」でもなく、当たり前だが「おはよう」でも「こんにちは」でもなくて、決まって

 「はじめまして」と笑顔で言った。いかにも天然そうに、それが至極全うであり「どこにも汚い嘘間違いなど見当たりませんわ」とサラッと言ってのけるようなきれいな顔をして「はじめまして」を3回ならべた。そして僕は重大な事態に気づいてからも2回繰り返した。「はじめまして」以降に続けられる会話はまさに一般的で、それこそ何処にも間違いなど見当たらない、そこらへんで交わされる日常的な世間話に大差なかった。だからその「はじめまして」は彼女なりに笑わせようとふざけている彼女なりの「ボケ」だと受け取っていた。僕はそのたびに笑顔で「はじめまして」と返していた。たしかにこの流れではその「ボケ」は「天然ボケ」になるのだが、結果的にはそうではなかった。彼女は僕と会うたびに更新され、というよりも一つの「別れ」を経るたびにあたらしく更新されてまるで別人になっているようだった。

 それを何とも思わずこの4か月間を見過ごしてきた僕に何か致命的な不備があるといえるだろうか?まさか彼女は、自分のその純潔で無垢な「はじめまして」に対して僕から返される、その場凌ぎ的な「はじめまして」を真に受けていたのだろうか?

 そうだとしたら話は一層深刻なことになる。第一に、持ち合わせの携帯がなくなっていること。第二に、彼女の記憶が失われていること。第三に、先ほどから隣の客がチラチラとこちらを気にかけて見ていること。それは何故か、不安にならずいられない佇まいにさせた。

 

つづく