何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

『いかにもハイヒール』② 暗い路地

masa1751.hatenablog.com

 

 財布の入ったポケットの反対側には身に覚えないタバコと金色のジッポライターが入っていた。私は全く吸わないのになぜだろう。酔った勢いでポケットに入れてしまったのか定かではなかった。彼のものだろうか。いいや彼はタバコを吸わないはずだった。何がなんだかよくわからなくなった。頭がくらんだ。しかしそれを捨てることはせずポケットに忍ばせていた。何か悪いことをしている気分になったが妙に落ち着いた。しばらく金色のジッポライターを手の中で転がしていた。

 私は普段からバッグ類を身に着けないことにしている。それは以前、大切なものを沢山詰め「携帯」したバッグを失くしたからだった。なぜあの日に限って大切なものをバッグに詰めこんだのかというと、こんな私にも相応の事情があり理由があったのだ。その部屋に大切なものを残してはいけなかった。「これだけは」と思ったものだけを部屋の隅々からよせ集めて厳格に選抜した。今回の一件を単なる「失敗」と捉えてこれは一つの教訓として「さあ立ち直りましょう」というのはいささか性急すぎると思ったし、能天気にもほどがあった。あいにく私は「なるほどその機械を持ち歩かなければいいんだね。そうか、はいはい」と受け止められる程、楽観的になれなかった。ブンブンと頭を振り腕をふるわせて本格的に酔い覚まそうとした。

 私が過去にバッグを失くし、何故、おいそれとその不在を決め込むことができたのかというと話は長くなる。そんなことに今思いを馳せていては、一生あの機械を見つけ出すことはできないだろう。まずは機械が先だ。あれが無くては私は帰れない。たいへんだ。早く見つけ出さなければいけなかった。そこに見られてまずいものがあるかと問われたら「いや...」と濁すが、ないんだなと質されると素直に「うん!」とうなずくこともできなかった。

 

 

 からだのいたるところを震わせるのが私の癖だった。小学生のころ静かな教室の試験中、さんすうの解答に行き詰った私は座りながら、例のごとくからだを震わせた。からだと共鳴するようにガタガタと机は震え、鉛筆と消しゴムは床に落下した。遅れて白いペーパーがひらりと舞い落ちた。自ら拾いに行った。かがんで頭を上げた拍子に、窓から差し込んだ強い日光にくらんで教卓に頭をぶつけた。それを思い出すと今でもそのぶつけた箇所がズキズキと痛む気分になった。そのクラスは私の一連の行為を無視した。なんら問題はなかった。なぜなら私はそこに一人しかいなかったからだ。

鈍い疼きを感じてようやく酔いが覚めてきた。そうだ、その女は今津軽にいるのだ。結局のところ手元に機械があってもその連絡は無意味なものに気付いた。

「そっかー、よし、かえろっと。」

・・・「いやいや、違う違う。」

 

長くなった髪は巻くのにも時間がかかった。せっかくの機会だから巻いてみようと一念発起して巻いたのだ。普段はがさつだが、何かふとした時の行動力は優れていると思っている。この髪はバッサリ切ってしまいたかったが案外この長さに愛着が湧いてしまって今では前髪をそろえるように自ら切るだけで、横と後ろは伸ばしっぱなしにしていた。その髪は私が好かないほど明るい茶色でもともと自慢の黒に染め直したくてたまらなかった。またぶるぶると身震いがした。これじゃあ美容院にも電話できないのね、、、とこぼしたその時、聞こえてきた。

 

「いしやきいもはいらんかね」

右手の暗い路地をパッと向くと、男か女かわからないような声が聞こえてきた。「男か女かわからないような声なんてあるのか?」と考える間もなくて、いいや本当そうだったのだ。私は聞こえなかったフリをして、目の前に迫った夜間営業の喫茶に駆け込もうとした。すると、

「あなた、困ってるんでしょう?」

と投げかけられた。それはそこらへんに屯する若者や歩くオフィス・レディに向けられて発しているものではないことが、どうしてか直観的に分かってしまった。苦しい。「はい。私は今あなたに声をかけられてしまって困っています」と心の中でつぶやいた。もちろん声に出すようなことはしなかった。まだ初夏だというのに、暗い路地からひんやりとした冷気が流れてきて、それが私の長い2本の足をつたって胸まで届いているようだった。首もとまで到達したらすぐ走り出そう、そう決め込んでから私はもう一度からだをぶるぶると震わせた。しかし日頃から手入れされた2本の長い脚は動かなかった。

「あなたは今、私に声をかけられて困っている。でもそれ以外のことで困ってるんでしょう」

どこからともなく聞こえるその中性的な   (厳密にいえば正しくない表現だが、あえて使っておく) 声の主はすぐそばにいる。だがしかし、私はその実体を確認することができない。今度は、先ほどのような疑問符つきの問いかけではなかった。きわめて肯定的で暫定的な解釈と判断は、恐ろしくかつ丁寧な口調で私だけに向けて提示されていた。

 

 

つづく