何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

もうはてなでは書かない 、 不思議な3分間

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あまりにも部屋が静かで、外の空気吸いたさに飛び出してきた。とはいえ、昨日は1日、就業前研修で東京のランニングイベントをお手伝いしてきたので、嫌という程外の空気は吸っていた。

"東京のランニングイベント"というと聞こえはいいが、結局のところ大掛かりなイベントの裏方は地道にコツコツと目立たないことの連続だし、一方の派手なことはほんの一部にすぎなくて、よりリアルな現実をまざまざと見せつけられることになった。走る数千人を見ているとどうしてこの人たちは走るんだろう、と何度も、何度も疑問に思った。
どうして彼らは走るんだろう?

 

 

「たまにはスマホで、」
ということで、スマホでブログを書いていたら案の定それが消えた。いやな予感はしていた。むしゃくしゃしたので300ページほど余っていた『ねじまき鳥クロニクル』の第3巻 を急いで読み果たした。国家試験の終わる彼女に返さなければいけなかった。ページが残り少なくなる頃気づけば陽は落ちて、部屋の電気をつけないといけない時間になっていた。アイフォーンに溜まった返信をひとつだけ返し、陽の落ちる過程をカーテン越しにぼんやりと眺めていた。その時間の日光の移ろいは思っているよりも早く、幻想的で、何か見惚れてしまう魔力を秘めていた。


映画 「君の名は。」ではこの黄昏時(タソガレドキ)が重要なキィになる。それを思い出した。消えたものに苛立っても仕方あるまい、と立ち上がり冷たい水をコップ一杯飲み干した。

また、卒論執筆のために読んだ「体育教育を学ぶ人のために」に収録された"作られる近代的な感情"のことも思い出した。たとえば機械をとおして感情が操作されること、作られることを言う。あまりに生活に染み込んでいて私たちは気づかない。最近でいえば、AI(人工知能artificial intelligence) をめぐる怒り、恐れ、希望、悔しさなんかもそうだろう。私たちが生身の人間を介さずに生まれ、揺り動かされる感情のそれぞれは、実は近代的感情の一例にある。
それを読んだ時、ケータイをパカパカ開いて閉じ、返信を待ちぼうけする様子が浮かんだ。

もうそんなこともない?

そんなことを考えているうちにあのむしゃくしゃは霧消し、もう二度とはてなでは書かない!という至極誰も困らない意志もいつの間にか手離していた。

 

 

私は、学生集合宿舎から一人暮らしの部屋に越してもう3年になろうとしていて、引っ越し当初、私の入った次の日に入ってきたと思われる隣人はえらく丁寧な挨拶回りしにやって来た。あまりにも丁寧なもので、ずっとドアを片手で開けていたのをしっかりすべて開き話を聞いた。これでは凶悪犯だったらやられてるな、とふと彼の帰り際に思ったが、故郷が北海道であったらしく名物の白いお菓子をくれたのですぐに忘れた。その缶詰のお菓子は1日で食べた。私にとって思い出のお菓子だったのだ。

それで、実は昨日来たばかりなんですよ。とつい言いそびれた。
かつてその隣人は院生だったが、恐らく知らないうちにまた同じような背格好の男性が入れ替わりで入って来ているらしかった。そう感じたのも去年の春のことでほとんど顔を合わせたことがなく、いま隣人の顔を思い浮かべてもうまく思い浮かべることができない。彼は恐らく避けているようだった。

その隣人の特徴としては、よくくしゃみをし、一度のトイレでは二度ほど大きいほうでつまみを捻って水を流している。それとテレビ下にあるコンセントに毎日のように朝と夜プラグをこまめに抜く人であるようだ。
そんな今日、初めて隣人が掃除機をかけていた。厳密に言うと掛けていたことは不確かなのだけど、あの始まりと終わりの機械音と壁を震わせるような響きは、巨大な掃除機であるほかない。それにしても1年間、多く言えばこの部屋に越して来てから3年間は掃除機の音を聞いたことがなかった。
はじめは地震だと思って身構えた。その地鳴りのような音と重なるように、明らかにキッチンの方から人の動く雰囲気が感じ取られて、それでいて気配は消されている。それは次第にリビングの方に移る。はじめの機械音が聞こえなかったので私は本当に地震か、あるいは知らない間に人が忍び込んでいると思った。部屋にはベランダの手前に大きなソファを構えており、そこでねじまき鳥クロニクルの第3巻を握りしめじっとこらえていた。じっと、こらえていた。3分ほど経った頃、ようやく終わりの機械音と例のプラグを抜くガコンという音が聞こえてきて確証を得た。

不思議な3分間だった。

これまで特に騒音とかで気にしたことがなかったし、これもこれで騒音という類に数えられないけれど、少なくとも音に驚かされた不思議な体験としては、ひとつだけ残るだろう現象だった。


これを書き終えるとさっきまで熱かったラーメンの残り汁は冷え切っていた。