何を書くか、何を書かないか。

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もったり感

 

 

ねじまき鳥クロニクル』で、主人公のオカダ(ねじまき鳥)さんの前に現れる奇妙な人物の一人に笠原メイという不登校少女がいる*1。彼女は学校へ行かずカツラメーカーのアルバイトをするのだが、その内容が人通りの多い銀座などで、街ゆく人の頭を見て、髪の薄い度合いに松竹梅の三段階でランク付けをする。一度?、主人公は彼女に連れられてその一緒にそのアルバイトをする。その辺りで彼女は、ホームレスの頭を見てごらんなさいよ、彼らはシャンプーもシャワーもロクにしないのにハゲてないのよ?つまり私たちはシャンプーなんか本来は必要ないの。そういう何かに乗せられてるだけなの。的なことを言った気がするんだけど、僕にはこのことが妙に印象に残ってしまって、それを読んでから髪を洗うことに対していちいち懐疑的になった。

今日いちにち、僕の頭の周りはずっともったりしていた。別にかぜを恐れているわけでなく鼻や口の周りに以上があったわけでもなく、ただ彼女にもらったマスクをつけていたのだけど、ついにはシャワーで洗い流すまでその「もったり感」からは逃れられなかった。そいつは髪の匂いだった。今朝の気分で熱いシャワーを浴びた。シャンプーもしっかりしてすっきりした。昨晩に一睡もできなかったことによる精神的身体的な疲れ以外は、だいたいこの朝シャワーによってお湯といっしょに流すことができた。元はと言えばそのもったり感は、この眠たさと疲れから由来していたのかもしれない。少し前に、シャンプーのメーカーを変えた。その日買いに行って、何を思ったのかシャンプーとコンディショナーを間違えて家に持ち帰った。容器に移そうとした時、その誤りに気付いてすぐさま取り替えに行った。女の子の髪 (その他) が代替し難いいい匂い を放つのは言うまでもないことで、誰になんと言われようとも −たとえ誰かに怒られても、貫こうと思っている。異論はないだろう。そんな淡い記憶とイメージの狭間にいて、いざ、そのような匂いを身に纏うことが出来ても、これはあくまでも僕にとって大変辛いことなんだと学習した。ふんわり、時折、たまに、香るから良しとされるのであって、確かにつけすぎるパフュームやコロンなども用量を間違えればただの迷惑爆弾にしかならない。

何か得体の知れない教訓を得たようないちにちだった。僕はこの髪の分量でこれぐらい香ってしまうのだったら、もっと髪の長い人はどんな気分でいるんだろう。さては、彼ら彼女らはそれに慣れてしまうものなのだな?

おやすみなさい、

*1:第2巻終盤に、復帰することを公言する