先生と私

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毎年年始に夢の島でやっている高校生の合宿に2泊3日で帯同してきた。今年で8年目らしい。お世話になっている恩師の先生に連絡をもらったら、行くしかない。走るよね?と言われれば走るしかない。恩師と生徒という関係でありながら、先生とは大学の先輩と後輩という関係でもある。私にとって良くも悪くもスポーツの世界における「上下関係」は絶対だと思っている。私としてはもう一人思い入れの先生がいる。B先生と呼ぼう。B先生は、3年次のクラス担任であり、私が高校を卒業してから陸上部の副顧問に就いた。実務的な役割をこなされている。帰省で、あいさつしに行くと、何故いるのか驚いた。B先生はテニスの経験者で英語を教えている、体にも特に異常がない至って普通の中年男性。

私は学生コーチとして参加したので、そのB先生と他校の先生と、何故かバスの運転手と相部屋になるというカオスな展開を受け入れた。私は大体、この手の雰囲気や展開にも難色を示さずやり切れる自信があった。が、久しぶりの多い運動量にかつてない疲労感とけだるさ、筋肉痛によってその2日間はなかなか難儀なものになった。2日目の夜。9時ごろに運転手は早々と眠りについていた。部屋全体を暗くし、出入り口の明かりだけを点け、B先生とお酒の話をしていて、数分後にはじゃあ飲みましょう、ということで部屋のドアを押していた。恩師の先生にも声をかけ、結局コーチ陣5人で(一人の先生はお酒に弱いということでお水で)ビールを乾杯した。

高校のころはただ、担任の英語教師と生徒という関係だった。たしかに、思えば大学入試の手続きや、推薦文を書いてもらったのも先生だったし、小論文の添削にも力を尽くしてくださった。あのころを思い出し、いろいろとこの4年間で世間は変わりましたね、とやすやす口にする。私の卒論のテーマを面白い着眼点だ、と褒めてくれたり、矢継ぎ早に放たれる恩師への質問を「名インタビュアー」と言ったりもした。さすがは褒めるのがうまい。

彼の前任校は、震災当時の気仙沼高校だった。津波のニュースで有名な、暗い海に燃え盛る火が延々と続く光景の場所だ。そこからは2時間以上かかるところに今の高校があって、震災当時は転任する事実を受け入れながら、兼任していた。週末に仙台から気仙沼へ向かって仕事を整理した。私は高校生の時そんなことを知らなかったし、知る由もなかった。ただ冴えない英語教師だな、としか思っていなかった。震災にまつわる出来事を今回は聴ききれなかった。しかし、私たちには想像もつかない大変さである。彼はどんな思いで、その地を離れたのだろう。

教師は神様でも仏様でも聖職者でもない、たった一人の人間である。教師に対する世間の風当たりは強いけど、教職の道をあきらめた私としては、お世話になってきた先生たちの生の体験談を聞くのは、簡単に得られない体験だ。ホテルのロビーで教師と飲む、冷えたビールがなおさらおいしく感じられた好いひと時だったよ