「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

「残念だけど、この国にはまだこの歌が必要だ。」

昨晩は、関節がキシキシして喉がイガイガ傷んだから早く寝た。頭もガンガンした。典型的な風邪の兆候だ。まいった。新年早々に体調を崩す、縁起が悪いなあ、と思ったが、そんな大晦日や元旦だって365日の中のたった1日にしか過ぎないので、そういちいち特別視するのは大げさすぎる。前に体調を崩したのを簡単に思い出せないから、それだけ久しいんだと思う。登山の疲れと東北の寒さに打ちのめされた。師走は字の通り、突っ走ってきた節があるので、多分その疲れが出た。今は父方の実家に来ている。紅白歌合戦をみて、年越しそばの準備、実食、ゆく年くる年を見ながらあけましておめでとう。今年もよろしくお願いいたします、と正座で向かい合っていいあう。生まれてこの方、この様な過ごし方しか経験のない私は、友達や恋人と初詣に行ったりしたことはない。中学生の頃メールなんかしていて、いろいろ家族でルールがあるんだと知った。ふつう大晦日といったら夜どおしで起きていた。その時だけは、いくら起きていても親は文句を言わない。観たいテレビを好きなだけ見たり、友達と新年の挨拶を電話やメールでやりとりした。私ぐらいだとまだガラケーで、重たいテンプレをベタベタ貼りつけて、友人とあけおめメールを送ったりした。山形は東北の片田舎ということもあり、電話回線が混み合っていたり、メールの受信速度が落ちたりした。中学生あたりから、年賀状を書かなくなりメールで済ませることが多くなった。伝統とかならわしとかを大切にするべきという「べき論」の一方で、私はそういった風習に無理に固執しない方だから、大人になり必要あらばまた書けばいいと思っている。小学生の頃は、結構熱中したクチなので、やり方や仕組みが全く分からない訳ではない。ヤフーニュースには、紅白歌合戦に賛否について取り上げられていた。たしかに「内輪ネタ」に盛り上がり、流行に疎い人は「置いてけぼり」みたいな風潮は、例年にましてあったかもしれない。でも、いつまでも万人向けの安全牌な放送を続けていて楽しめるかというとそうではない。というより、その「楽しめる」基準が不明瞭なので、どうにもこうにも判断を下せないわけである。私としては、実際に今回の紅白歌合戦はとても面白かった。シン・ゴジラを扱ったり、星野源とガッキーが気まずい元恋人みたいな雰囲気を持っていたのもよかった。ロンドンから生中継で宇多田ヒカルの「花束を君に」を流したのもよかった。安定のPerfumeにも涙ぐみそうになった。正確な比較をしたわけじゃないけれど、ここ数年で一番に「邦楽を真面目に聞いた」と思う。「最近の邦楽はいいものがない」みたいな批判に反して、私の心には強く響いてきた感じがする。演歌もポップも、ロックもよかった。RADやX JAPANなどロックが特に良かった。ある新聞社はイエモンの「JAM」の歌詞を広告にして載せたらしい。イエモンは高校生のころに少しだけかじった位だ。