何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「語り」

 

みなさんは何かにあこがれるってことありますか?僕はけっこうあります。

好きともまた違くて、かと言って嫌いかって言ったらそうではなくて、ぼんやりと「ああなりたいな」とかいう感情の正体が「あこがれ」だと思います。こういうのは気になって仕方ないので、特に意味はありませんが、辞書的定義を置いておきたいと思います。

 

憧れる・憬れる (あこが)れる

:理想とするもの、また、目指すものなどを求めて思い焦がれる。

 

 

思い焦がれる、とまで書いてありました。

 

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自分の書いたものを読み返した時に一番何がイヤかって、その正体が少し分かってきた。それは「だ・である」調なのに、その文章の中身がからっぽだと気づいてしまうことだった。かと言って、「です・ます」調で書いたものも、なんか変にへりくだっていて気持ちが悪い。どちらにせよ、ということなので、この一件忘れてほしい。

 

 

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この頃は、人様のブログを読ませていただくことが多くなった、本当に多くなった。それに、比例して少しずつ「自分のもの」も見ていただけるようになって、既にこれはある種の循環作業になってしまっているなと気づける。知り合いのものは、あまり読まない ーというかあまり周りに書く人がいないー ので自然と、知らないひとのを読むんだけど、いろいろとそこで想像を巡らせるのがたのしい。顔は大抵わからない。住まいも、おおよそわからない。どんな人なのかなあと考える。うん、人様のじんせいを勝手にかんがえる。そして知らず知らずのうちに、無意識的にその人のことを「ともだち」とかいう安っぽい括りでは言えない、なんだろう、、「知人とも言えない部類のひとたち」にカテゴライズしていく。ネットの住民とかいうと語弊があるけど、なんかまあそんな感じ。数回やり取りしたらその人のことは知っているみたいな。注意したいのは、その「知ってる」は、なんでもかんでも知っているとかともだちみたいな存在である、とかではなくて「物質的な距離ではない不可視的距離感」が縮まっているということ。けっきょくのところ僕が言いたいことって、なんでもかんでも「社会」と結び付けたいのであって、「ソーシャル・ネットワーク」の影響がこんなところにまで、こうやって及んでいるんだなあってことに感動しているだけなの。

 

 

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また、書き方についてひとことなんだけど。

ブログっていうのは、その人のちょくせつの「語り」なんだっていうことをつねに気にしていたい。だから、味が出るっていうか、ーその「味」がどんなんかは判断できないけどー 究極的な個性が出る。前のログにも書いたけど、「個性の意味を履き違えちゃいかんよ」っていう身勝手感きわまりない言い回しの裏側は、個性ばかりを重視しすぎて追い求めていると、みんながみんな個性を見つめすぎてじゃあそれが個性的な集団になっていくかと思いきや、おおきく見たら結果的には類似的な集団みたいになってしまい、一人ひとりの没個性化が進んでしまうよ、ってことだった。自分で言っておきながら意味わからない。だから、当たり前のように過ごしたり振る舞うことがちょっとした異端にみえてしまうことがこの現代社会ではある。そして、そのことについてもみんなは既に気づいていて見て見ぬふりをつづけている。

 


 *飛ばしてください、ただ置いておきます

たとえば人通りの多い大きな道路の交差点で、点字ブロックのついている辺りに空き缶が、吸い殻が、菓子パンの袋が落ちていたらあなたは拾うか。ここは私の家じゃないから、という風に見逃すことが多いのではないか、とあくまで想像をする。本当は当たり前のことなんだけど、それを拾った人は「なんかちょっと変じゃない」という風に人が見るかもしれない。でも根本から考えて、どうしてそういう「社会」って出来上がってしまうんだろう。江戸時代の頃からそうだったのだろうか?単純な話、江戸時代には空き缶やたばこの吸い殻、菓子パンの袋は存在しないので、同じ事例として比較はできないかもしれない、でもそれはただの屁理屈だよね。想像は、そうであってほしいという「願い」では、江戸時代の人たちは、そこらへんにゴミが落ちていたら辺り構わず拾うと思いたい。どこらへんから、日本人が当たり前に思うこと、空虚な一般論をそむいてまで、自分の個性を追ってしまうようになってしまったのかなということ。

「見えているものを見ないようにすること」を「いつから」「どうやって」可能にするようになったのかな、みたいな。

 

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どうしようもないくらい話が脱線してしまったので頑張ってもどす...。

上の一コマ見なかったことにしてほしい。今日はずいぶんと「見なかったことにしてください」が多いな自分、どうした自分。

 

 

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二コマ前に戻って「語り」ということについて。「語り」のたいせつさを教えてくださったのは岸政彦さんだった。なんかね、ほんとうに好き。僕はこういうことを学びたい!と胸張って言える。んで、どっかにも紹介したけれど、あの方のブログを読み、本を読み、「語り」について気にするようになった。そして「語り」は作られるということも知った。これはどこで読み聞きしたか忘れた。

 

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 

 

街の人生

街の人生

 

 

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震災体験や戦争体験のテラーについてだったかな。どちらも九死に一生を得たできごとで、なるべくというか絶対に起きて欲しくはないもの。そのような体験をしたひとは、そのできごとについてを現世から後世へと語り継がねばならない。(語り継がねばならないという表現は自発的な意味ではやや曖昧で、この場合は周囲のひとあっての使命感みたいなもの)本当に起きたことを淡々と語るのはつらくて、思い出すだけで胸が苦しいだとか、涙が止まらないだとか、語ること自体が容易いことではない。でも、本当にそういった「インパクト」が受け手側には必要であって、いじめ撲滅の話に多いような「されていやなことはしないように」みたいな注意を受けることに少し似ている。

 

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また「語り」を続けていくうちに、いろんな変化があるかもしれない。しゃべりかたも饒舌になってきて、(表現が本当に適切ではないが)慣れていくうちに涙がでない、-つまりは、前よりも笑顔であの時はこうだったとポジティブに語ることが出来るということ- ということが起こっていくのだそうだ。それと、もうひとつある。大変だった中を生き延びたのでそれなりに意識も確かではなかったかもしれない。そのテラーが語っているうちに、その体験時ありそうで無かったようなことも、インパクトの後押しとして(架空の)できごとの付け加えをする。「途中のあれはフィクションです」とは言えないので、そのまま変わらず、いろんなところで「ストーリーテリング」をする。映像をみて、その後カンペを読むという「語り」の状況か、すべてがすべて即興として描き出される「語り」なのか一概にくくることは出来ないけれど、そういった事態が起こりうるなということが感覚的には分かる。少なくとも、3.11を体験した僕は。

 

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そう。だからなんだろうってこともあるけど、そんな中で「究極の語り」ってなんなのかとおもうわけ。んで、その「究極の語り」の良し悪しはだれにも分かんないよねってこと。ここに連ねられている無味乾燥な文字たちも、その人の人柄が見えだすと、途端に色を帯びていく。それが鮮やかなのか艶やかなのか輝かしいのか、また無色透明のままであるのか汚らわしくなるのかはそれぞれ分からないこと。

そう、雲は何色かと聞かれて、「灰色」と答えるか「白色」と答えるかみたいな感じ。

(たまたま雲が窓の向こうに見えたのでてきとうに言った)

 

 

 

 

 

*ちょっと読んでほしいもの

masa1751.hatenablog.com

 

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