何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

2分半で読める「犬と月と私」

 

私が近づくとしっぽを目一杯に振り、身体をくねらせ、決まって私の片足に腰かけた。5度やったが5度ともそうした*1。最初は撫でることも恐れたが、距離感を掴むと手慣れたものに変わっていった*2。過去に、つぶらな瞳を2個具えた可愛い顔のチワワが、突如凶暴な性格をあらわして追い回してきたことがあった。それ以来彼らとは、かわいいね〜と遠巻きに眺めることによって距離を取ってきた。*3だが目の前にいるそいつはレモンといって、どこか私に好意を抱いているように見えた。クンクン鼻を鳴らし、そこまでするかというくらいにしっぽを振った。〈激しくしっぽを振るのは対面したもの*4に対する好意だ〉という神話を私はあの日以来、信じない派なので、内在する記憶と面接し慎重にことを進めた。記憶との面接の結果、両者合意のもとで撫でる段階に至った。何故かレモンは「私たち初めて会った気がしないよね〜」といった雰囲気を醸し出した。困った。それは小学生の頃の話だが、幼稚園来の女の家が通学路にあって帰りがけよく立ち寄った(気がする)。そこにはレモンこと犬が小屋前に①〈〉していた(気がする)。そしてそこで私はレモンを撫でた(気がする)。ここに都合いい解釈を付け加えると、レモンは私のことを覚えていたのだろう。*5飼い主の女がそう言うのだからそうなんだと信じたい。確かに遊んだ記憶はある。だが、かつてのA少年はこんな見事にあやせなかった。ベロベロと舐められる手と片足の靴が思いのほか濡れることに私は驚いた。困惑する私をお構いなしに舐めるのを止めようとしなかった。私はレモンとの関わりをまるで忘れていた。すこしだけみじめになり悲しくなった。反省している。🍋運転免許証を手に入れた私は意気揚々と、秋晴れの下を大股で闊歩していた。人が動物を可愛がるのは、寂しさを紛らわせる目的だけだったら、その寂しさだけに宛てがわれる動物たちがかわいそうだ。犬も猫もインコもそこらへんはよく分かってる。澄んだ瞳の中に、②〈〉が1ミリくらい混じっていて、飼い主の「最近散歩してないからなあ」の意味が分かった。あらためて天吾の目に月が二つ映るとき、滑り台に登っていた。追う牛河はそれに倣って自ら試した。私はそのシーンに差し掛かった時、実家のすぐそばにある公園を思い浮かべていた。散歩をしたり家出と言ってベンチに座っていたこともある。友人と夜遅くまで話し込んでいて見つかりその場で母親に引っ叩かれたこともある。思い入れがある公園だ。その前の晩は、"話題のお月さま"が雲に隠れうまく見えなかったので苛立った。しかし、その晩に少し欠けたスーパームーンもどきは姿をあらわし、見事なまでに私を虜にした。公共トイレの陰から出てきたカップルは、見事な月明かりに照らされながら”いちゃいちゃ”している。彼らは何を思ったか、秋の空っ風の吹く中、しかも綺麗な月夜のもとでやってくれている。まったく「よそでやってくれよ」と泣きたくなったけども、それも束の間、私はそのカップルに少しだけ目を奪われた。なぜ目を奪われたかと言うと、そのカップルは男女の対には見えなかったからである。

 

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*1:何かの合図だったんだろうか

*2:我ながら素晴らしい距離の縮め方だと思った

*3:あるいはガラスの壁を隔てて撫でるくらいで

*4:人間であれば人間でいい

*5:めでたしめでたし