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クリスマス ソングに耳が侵される

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有線なのかなんなのか、商業的店舗では途切れることなくクリスマスソングが流れる。その場に居合わせようとした私に第一の原因があるから、あまり大きな声では言えないが、そろそろ鬱陶しい。いや別に、この季節のクリスマス ソングが嫌いなわけではない。むしろ、私はクリスマスの時期や流されるクリスマス ソングに対しとっておきの好意を抱いているし、それはまた恋人がいようがいまいが関係がない。

あれは、高校2年の時のこと。前年に陸上部のメンバーでクリスマスのためのパーティをしたのに、その翌年つまり高校2年のクリスマスは、意図的にかぶせてくるかのごとく、東北六県の選抜合宿が開かれた。青森の雪はなめてはいけなかった。作業員が精一杯掃く雪も、一夜ほっておけば、膝もとまで嵩を増す。そんな中どうやってトレーニングしたかというと、ドーム式の野球場があって、そこめいっぱいを使った。

合宿は二人部屋だったので、二つあるベッドを使い、男5人集まって1人1つちいさなケーキを囲み、座談した。ケーキは、ホテルの目の前にある大型スーパーで買ってきた。次の日の朝にとてもハードなワークアウトを控えていたので、22時くらいには解散した。書いていて思い出したのが、(のちに付き合う)同級の女の子が「私の彼がしつこくてクリスマスを一緒に過ごしたくない」という旨で相談してきたこと。当時はまだガラケーだったので、専らがメールと電話だった。以上の相談を含めて、とびっきり可愛い女の子が高校生としてたった三度しかないクリスマスの一回を満足に楽しめないということ、反対に彼氏にとびっきり可愛い彼女がいても、聖夜にボロクソに言われていること、の両者に対して私は哀れみと情けの念をかけたくなった。クリスマスを恋人と過ごすという観念がそもそもあまり浸透していなかった私にとっては刺激が強すぎた。

うたかたのようにそこに留まらない客は気楽だ、ある程度を決めて帰ることができるから。しかし従業員はどうだろう。これじゃあクリスマス ソングに耳が侵されかねない。私は避難しようと思って、早急にradikoをつけたところ三つの局が似たようなクリスマス ソングを流していた。私は絶望し、逃れることができないと思った。でもWham!のLast Christmas は好きだ。いや、もういい。Last Christmas が悲しい曲だからそれは楽しめないとかいう言説、説明にはもう飽きた。それこそ、耳が侵されかねない。楽しく過ごそう。

 

間に合わなかったクリスマス・イヴ - せのびせずに