出会いと谷崎

 ああ、いつだったか忘れたけど、どっかの文学批評で谷崎文学におけるセリフに関する考察があって、谷崎が当時描いた女性の関西弁は違和感がすごいらしい。そっからあれなんて言うんだろう、逆説的?とか言うんかな、谷崎文学が隆盛した当時の日本には、まだお国言葉が国(都道府県)を超えて認知されていなかっただぜ~みたいな推察がいくつかが並べてあって、はあああん。て感じだった。

 

 たしかに、今でこそ、いつでもお国ことばを見聞きできるから、貴重性とかもはや皆無だし、東北で育っても〈同じ国の中〉で*1いろんな言葉に触れることができますね。さぞ当たり前のように。うん、メディアってすごいもんですよ。関西人がテレビの中で芸能人が関西弁はなすとめっちゃ違和感あんねん、とか言うの、まあ、わからなくも無いですが、こっちからすると極端な発想で〈東北イコール田舎〉に結びつけてしまう思考こそ"めっちゃ違和感あんねん"です。というか、そもそも〈行ったこともない見たことない所イコール田舎〉なんでしょうね。*2

 話し戻すと、当時谷崎さんも書き下ろすにあたって、谷崎さんなりに取材というか記憶掘り返したりして 〈関西弁〉を分析したんでしょうね。でも、いざ書いてみると、まあまああかんかった。その批評が結構辛辣だったんで、そんなに谷崎さん責めんといてよ、って感情になりました。幻想譚に関しては立派な偉人ですからね。

 そんでね、その話をしたんです。誰かに。覚えてないけども。そしたら、そいつがわたしも出会い欲しいわあ、とか脈絡のないこと言うんで、いっぱいあるんじゃないの?と訊いた。すると、「あるんじゃないのって言い方がキモいわあ」て言う。さっきからわあわあうるさいなと思って、なんでそんなに「わあわあ言うの」って訊こうとして、私はやめました。

 どうやらその子、心底自分のはなす関西弁が標準語だと信じてるらしくて、これはあかん、重度な病気や思ってね、言ってあげたんです。とりあえず東京の人とつきあってみたら、って。自分でもめっちゃテキトーなこと言ったなあと思った。するとその子、したら標準語話されへんやん!!って答える。

〈彼らの言葉を借りると自分の話す言葉が標準語な訳で、その標準語こと関西弁を話せなくなるのか、単に、標準語こと標準語に慣れていないから恥ずかしくて話せなくなるのか。〉

 私は頭悪いんで、あんまり理解できなかったけど、とりあえず、どもりながらそそそそうだよね、って返しました。今後は、谷崎文学における女性が話す関西弁に関する話はしないようにしようと思いました。

*1:想像の共同体 的な

*2:行く気もないんでしょうけど