何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

(何かを書けるということは)幸せなこと

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内田樹の「街場の文体論」読んでます。

卒論を書いていて、ふと、メタ言語ってなんだろうって思いました。気になり出したら、それが書いてあるだろう関連本をとりあえず読みたくなります。どこにいても何をしていても。あまり良くない癖ですが、アマゾンを開いて、検索マドにワードを打ちます。引っかかっても高そうだなあとか、すぐには手に入らなそうだなあと思ったら、次は附属図書館に頼ります。でも今日はコレを省きました。外山さんの本は閉じ、作業していたスタバを出て、自転車に跨りました。この頃は、相方の車に頼りっきりだったので、久々の自転車は心地が良かったです。

図書館に着くと、とりあえず「言語」の書棚に向かいました。「言語」の書棚は人文科学のフロアに設置されています。ふらふら、ふらふら意識がおぼつかない中練り歩いてみると、メタ言語に関する本が沢山ありました。なかには、科研費によって刊行された本がありましたが、何だか自分のもののように扱う人がいて、線が引かれたりして使われた形跡があったので、これらはパスしました。思ったよりも良いのがないなぁと思って、ここでやっと、各場所に置かれてるPCで附属図書館内の蔵書を検索しました。何かの気配がするなぁと思って振り返ると、パツ金美女が漱石全集を探っているのが目に入りました。いやあ素晴らしき素晴らしき。検索時に読みたいのは借りられていることが分かったので、また「言語」の書棚に戻ると内田樹さんのが目に入った。

ここまで、前置きが長くなりましたが、この一連があって内田さんの本を手に取るに至りました。内田さんの本に興味を持っていた経緯を話すと長くなるので省略しますが、思い出せる所によると去年の秋に刊行された「困難な成熟」がきっかけかと。店頭に並んだおすすめ欄で眺めることしかできなかった覚えがありますが、これは読みたいとずっと思っていました。まあそれはさておき、この内田さんの「街場の文体論」の始まりでは、村上春樹の作家としての姿勢を例に挙げて説明しているようで、内田さんによる講義目線の〈書き手は読み手に対して敬意と愛を持っていなければならない〉理念や、村上さんが着想を得る事に関して〈地下室の地下室に行って戻ってくるという表現を多用しておりこれがポイントです〉という所までしかまだ読んでいませんが、非常に面白い。確かに村上さんは、小説に関しては多少ね高圧的な表現を繰り返されたり(予想もつかないという意味で)訳の分からん展開を差し出して来ますが、それ以外のエッセイなどに関しては、物腰が柔らかくて独特の目線や姿勢で、自分が現在進行形で向き合うライティングに関する説明してくれます。

私もそこら辺の体育学生よりは(精度やクオリティはさて置き)何かを書くことが多いので、自分の胸に手を当て思い返して見ます。ベッドの中で。腕が疲れるのでぬいぐるみを脇に。すると冷や汗が出てきます。誰に対するものかも分かりませんが。今は卒論で手がいっぱいです、正直苦しい。春夏を振り返ります。やれ部活やれ就活で、この季節もあまり良い感じがしない。(楽しかったことは勿論たくさんありましたが)

 

書くことは〈フィジカルなこと〉だと、村上さんは何度も述べます。そして内田さんも言及しています。いやあ、幸せだなあと。何不自由なく何か思ったことを書けるというのは。「好きな事について(うまく)書けない」といつぞやに書いたエントリを読み返すと、まあくだらないことを書いてる。でも、それは私にとってその時書きたい事であったし、それは彼らの表現を借りるなら、そのバスがやって来たから乗り込んだというだけの一行為すぎません。〈降りてくる〉とか〈着想を得る〉とか言えるレベルではないので、恥ずかしくて声を大にして言えませんが、私は幾度となくそういったバスに乗り込んで(しかも行き先不明)幾度となくどっかの果てに降ろされて来ました。ほっぽり出されて寒かったこともあったし、そこは暑かったこともありました。良い塩梅の湯*1みたいな所にボッチャンさせられたこともありました。なんでこんな事を、今になって支離滅裂で、読み返すと恥ずかしいような事を書くかというと、もし私がこの世から去る時(という例は不適切かもしれませんが)ここに何かを書けなくなった時、〈あいつはここ*2でこういう事を言っている、つまりこういう事なんだ〜、みたいな身勝手なことでもいいんで、一回でもいいからされてみたい〉って欲望があるからだと思うんです。もうねこればっかしは、私個人の手ではどうもしょうがない。誰かがしてくれる保証もなければ期待もない。そんな中去りたくありませんが、かといっていつでも安心して生きていられるほど、世の中は平和ではない。*3

さて、かの偉人たちは彼らの生きた時代から偉人だった訳ではなく、まず亡くなってから、生前興味を抱いていた人たちによって*4身勝手な詮索や憶測をされて、彼/彼女の勇姿はここにありみたいなことを言われる。たぶん突拍子もなく。何も繋がらないし突飛な発想だとは思うんですがね、これに至っては、親が歴史好きなだけに、浪漫に対するたった一人の青年の身勝手な欲望です。ただまあね、現実に戻ってみると、何もかも好き勝手に世の大海に放り出せるというのは幸せだと思うんです。どっかの国や、いつぞやの時代と違って"検閲"なんてものはほぼ存在しないイマココでは何もかもが可能です。だからこそ何かを課さなければいけないと思って。

 

少し戻ると、そういった幾たびもの厳しい検閲を潜り抜けてきて、なおかつ保存を成功した"秘密文書"みたいなのにも浪漫を感じてしまいますが、その話はまたいつか。

 

卒論頑張らないと〜

*1:とよく婆ちゃんが言っていましたが

*2:はてなブログ

*3:車を使う事によってそのリスクは何倍にも膨れ上がっている事でしょう。

*4:あるいは興味を抱かざるを得ない状態になってから