何を書くか、何を書かないか。

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味噌汁

 

 寒い時期は、シャワーを浴びるだけで億劫になる。冷えるというのは、さまざまなところで私たちのやる気を削ぐ役割を果たす。平熱が35度ある私は、人体の構造からすると低い方だろうが、それが36度でも37度の人間でも、寒い時期にシャワーを浴びるのはたいそう億劫になるはずだ。気温や水温、体温は互いに一致したり比例したりしない。

 シャワーを浴びるのに億劫になっている間も、時は刻一刻と過ぎていく。なかなか浴びれないということは、寝る時間が遅くなるほかに、翌日および翌朝の体調に少なくない打撃を与え、それは1日単位1週間単位で雪だるま式にどんどんと膨れ上がる。

 

 私の先生は、患部を電気毛布で温めよ、と言った。競技に取り組むうえで、自分の身体は自分の手でメンテナンスしなければならない。そして過度に痛む場合にはそこをキチンと休ませなければならない。それは、今でも陥りがちな一昔前の非科学的な根性論体質から、いち早く脱却しなければならないという、現代アスリートを矯正していくための警鐘だった。

 

 競技に取り組んでいた時、起床時に痛むところを気にした。主に私はアキレス腱や足首が痛んだ。ベッドから着地する一歩が、その日1日の「やる気」を左右する一歩だった。私はそれを緩和させるために様々なことに取り組んだ。

第一に、血流を促進させるため、足の指をなるべく動かすことだ。これは先に述べた目的のほかにも、疾走時、着地から離地する局面において「足の指で地面をつかむ」といったアプローチが指摘されることから、二重にも三重にも意識しなければならない。

第二に、血流を促進するもう一つの方法として、「足つぼ板」や「青竹踏み」をつかった足裏の刺激だった。100均から買ってきて1日目、はじめは、手で私の重心を支える何かがないと、とてもじゃないが刺激を続行できなかった。*1「足は第二の心臓」と言うように、呼応するように体幹部に若干の反応を感じると、冗談でも、これは何とかの臓器が痛むんだな、と思ったりした。もしかすると本当に良くないのかもしれない。

そして最後は、患部を丹念にさすったり揉んだりし、仕上げに電気毛布で温めた。これがまた驚くほど効果があって、就寝前と起床時に取り組むことによって、翌日痛みが怖くてベッドから降りられない、というようなことが無くなった。筋肉痛は避けられないが。

 

 

 よく私たちは、あらゆる方法で痛みから解放されようとこころみる。たしかにその痛みは、その私にしかわからないものだし、いくら痛くても、隣にいる恋人が、親が、親友が代わりに知覚してくれるわけではない。私は私の身体の生命維持をする以上、たとえ小さくともその痛みからは逃れることができない。密接不可分なのだ。

一方で、その痛みを受容し続けると、見える世界が途端に変わったりする。今まで痛みに苦しんでいた自分と、特に痛みを感じなくなった自分と、今そばで痛みに苦しんでいる他人、痛みから克服した他人、、、など、多種多様な「痛みとの関わり」を目の当たりにすることにより、あらゆる形の感情の存在を認知することができるようになった。

 

 決まって走ることに取り組まなくなった私は、今でも体躯のあらゆるポジションを気にすることがある。とりわけ寝る時や座る時、長時間その場にいなければならない時に多い。しかし、その「まなざし」は自らに対するものだけではなく、あらゆる他者に対しても同様の対応をとった。

母親がよく腰が痛むのについて、そういう姿勢だからだよ、とは生みの親に向かって簡単には言えないものである。

 

 

 

 豆腐とわかめを入れたスタンダードな味噌汁をつくった。味見を兼ねてあたたかいものを含んだ。身体が温まると、何かしようと意気込むようになる。ならば、ずっとあたたかいところに居ればよいか、というとそうではないと思う。私は中高と、1月2月の寒い時期、ろくに暖房も入れず過ごしていた。その時は、簡単に寝てはいけないとか頑張らなくてはいけないとか、得体のしれない援用があって、張り切った。まったく解釈に困る内容だが、そういった温冷のオンオフが身体に良い刺激をもたらしていると未だ信じている。面倒くさくても痛むところは温めなければならない。

おそらく身体は覚えているんだろう。変なメリハリがモチベーション維持につながっているのを、大学生になり一人暮らしをして、殊更に感じるようになった。

*1:今でこそ継続の甲斐あって支えが無くても踏めるようになったが、いまでも相方は、何かを支えにしなければ刺激できない程痛むといった。たしか