何を書くか、何を書かないか。

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ページを繰ること

私は以前に読んだ本の冊数を気にしない、拘らないと述べたが、その日1日に目を通したページ数には妙なこだわりがある。ニ年ほど前によく読んだ齋藤孝(教育学者)の本に「就職力–就活は一日二〇〇ページの読者から始めなさい!」というのがあって、とにかく始めは200ページ読もうと躍起になっていた。なので小説を読む時も学術書を読む時も、区切りを見つけてページ数を気にしながら繰るようにしている。そしたらページを繰ることが目的であって本来の目的は果たせないんじゃないか、と読んでくれる人は思うだろうが、私はとりあえず一旦の成功を収めていると自己暗示しているので、今の所変えるつもりはない。*1

ところで齋藤さんの著書には「〇〇力」呼ばれるタイトルが多くて、同時期に成毛眞は –直接か知らないが「〇〇力と銘打って出されてる本ほど胡散臭いものはない」という風な批判をしているのを読み、私は少しだけがっかりした。だが私はやさしめの齋藤孝も、きびしめの成毛眞もどちらも好きである。*2

さて話はそれたが、そうやってページを無理矢理にでも繰っていると、嫌でも読書習慣は身につくものである。結局のところ、何かを習慣づけようとするということは、自分にとって都合よくかつ単純明快な動機づけを施すことによって達成されるのである。私たちは本質的にその方法論を知らないだけであって、考え方次第でどうにだってできるのだと思う。その方法論を学ぶことができるのが大学である。これに気づくのが遅かった。高校の先生はその種を蒔いていてくれただろうか。

またそれた。そして、その一連によって私は、–度々述べているが、不得意な夜の睡眠導入の滞りを幾らかでも緩和させようとしている(のだと推測する) 。夜眠ろうとする時、ああ今日はあの位ページを繰ったからおもしろい夢が見れそうだ、と感じながら私は目を閉じている。つまり私は勉学を目的としてページを繰り、一方では睡眠導入のためにページを繰っているとも言える。私はよく夢を見る人間である。

しつこい程に"繰る繰る"と多用しているが、これも村上さんの著す登場人物の趣味・習慣において、よく頻出する用語なので自然と覚えてしまった。これも繰った功績である。覚えたての用語を使いたがるのは、やはり私はまだ子供なんだろう。明日はどれくらい繰れるのか楽しみだ。おやすみ。

*1:無理矢理で申し訳ない

*2:ちなみに、成毛眞は『就活に「日経」はいらない』という娘と就活に挑んだ体験を赤裸々につづった就活本を出している。これもまた面白い