今すぐ逃げて

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 季節違いの降る雪が、あの3.11の夕方を思い出させる。当時、2人の友人と一時下校し、マンション八階の友人宅に駆け込んだ。彼の母親がいないことを確認し、ぐちゃぐちゃになった部屋を後にした時、8階から見える吹雪には世界の終わりを感じさせた。今でも記憶から離れない。

 

 私は宮城で育った。正確には比べたことがないので人一倍と言えるか分からないが、幼い頃から地震を強く意識させられて来た。学校教育や地域防災において「⚪︎年以内には90%の確率で宮城県沖地震がやってくる」と叩き込まれたのである。だが未だその宮城県沖地震は再来していない。

 かの宮城県沖地震は、母親が高校生の頃に起きたらしい。体育館で剣道の稽古をしていた時やってきて、–それは宮城県沖から山形県南部の米沢市にまだ届き、木製の床を波打たせたという。想像するだけで腰が抜けそうだ。その当時の凄惨さをテレビとかで地震の話題が上がる度聞かされてきた。

 

 私が生まれて間もない1995年1月には阪神淡路大震災が、母親は私を抱えテレビ越しにその悲惨さを伝える中継を見ていたという。もちろん私にはその記憶がない。

 また2004年10月には新潟県中越地震、2011年3月には東日本大震災、そして今春、就活で帰省していた時に熊本地震が起きた。無論、他にもたくさんの大規模の震災はあるがそれは枚挙にいとまがない。私たちは、それだけ多くの大震災に囲まれて生きているということなのだ。日本に生を受け、ここに住み続ける以上逃れることができない、宿命的な問題である。

 

 一昨日の地震の日のこと。その晩も例のごとく寝付けず、ベッドとソファを行き来していた。やがて空が明るくなりはじめ、その引き換えにやっと睡魔に吸い込まれていくところだった。すると揺れた。私と相方は飛び起きてテレビをつけた。相方は目が悪いので何もわからない様子だったが、その時のテレビの音声が私たちをより震わせた。

 

「今すぐ逃げて下さい。みなさん、東日本大震災を思い出して下さい。命を守るため、今すぐ逃げて下さい」

 

 NHKアナウンサーの声は、これ以上にない必死さを物語っていた。その必死さが克明に伝わってきて私は思わず涙しそうになった。また画面のテロップには、赤く示された「すぐにげて!」という文字。子供でも読めるように施したのだと思う。テレビ東京は相変わらず経済だか株為替のなんかをやっていた。

 

 ちなみに私は、災害時や緊急時に「逃げろ」ではなく「走れ」と叫ぶように教わった。「走れ!」の方がパニックにならずに移動できるためらしい。その時NHKは「にげて」を選んだが、それはそれでいいと思う。あのアナウンサーの咄嗟の機転というか、感情のこもらせ方はそれだけ冷静でないと出来ない。

 

 

 

 

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