何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「お兄さん、小松菜あげようか」

   高速バスで眠るために4時間しか寝ていないのに、こういう時に限って冴える冴えている。空腹一番にコーヒーを流し込むなんて恐らくはしたことがないんだろうけど、きょうはそれをした。勧められたし、きょうはいけると思った。案の定きょうはイケた。
   別々に寝て、別々の夢を見た。そして久しぶりに寝言を聴取された。とても恥ずかしい気分になった。
    いつからか見慣れない風景に身を置く感覚が好きだ。わたしはそこに溶け込んでいるかそうではないか。わかる人には分かるし分からない人には分からない。どれだけ騙せるか、という低クオリティっぷりに加え、学生街だったらキリがない。そもそも誰もわたしやあなたを気にかけない。

 

   葉は色づいて、綺麗になった。盛りと思われる時に葉を落とす。巡回のおばちゃんがかわいそうだ。イベントで遭遇したおばちゃんは、例のほうきで庭先を掃いていた。枯葉に混じって見える細く白い根のようなものは何かと聞くと、(外来種の)オシャレな葉っぱからいっぱい出てきちゃうのよね、と答えた。様相はまさに"はびこる"という感じだった。ワンちゃんも眠そうですね、と聞くとこの子は捨て子の身だったという話をもらった。そこから山形菜(山形青菜)、そしてお兄さん小松菜あげるよに至るまではとてもじゃないけど書き起こせないので割愛する。とても濃い話だった。小松菜をもらったら書くかもしれない。
   本来、葉にとっては盛りでないのかもしれない。わたしは植物学とかには疎いので、科だの目だの言われても顔をしかめるだけである。もしや早く落ちたくてたまらないのかもしれない。フライングした!っていう奴がいるかもしれない。あまりに粘りすぎて、いま落ちるのはアカンよな〜とか言って空っ風に吹かれてる奴が1枚くらいいるかもしれない。
   つくばには筑波山(筑波嶺-つくばね)という歴史に割と名高い最後の砦を持っている。つくばねから吹きおろす山颪はとんでもない。山颪という言葉を知って、覚えたのはあさのあつこの「晩夏のプレイボール」だった。主人公が山颪を受けながらずっとバットを振っているというシーンが印象に残っている。*1つくばねは和歌にも登場する。小学五年生の記憶はとても頼りにならないので、ネットから引用をする。

  筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは)
   恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる

(・・・なんかココ雰囲気変わりそうですね。)

 

   他方で、銀杏爆弾はものすごい爪痕を残す。地面がかわいそうだ。ぜひとも金木犀を見習ってくれ、と思う。

 

    急に横文字を並べるが、
Taylor SwiftのI Knew You Are Trouble やWe Are Never Ever Getting Back Togetherをよく聴く。つねに、その気持ちわかってたまるかと思ってきた。(残念なことに)いまこの歌はわたしにとっての応援歌になった。しかし他方ではこれらにはすごい思い入れがある。どちらも、高校卒業から大学入学にかけてよく聴いていたからだ。チーム・メイト、家族、友人、当時の恋人、当時思いを寄せていた人、、、その他表せない関係性との思い出が一気に引っ張り出される。そしてまた一つ、そこに「新たな仲間」が加わった。歓迎しよう。さあ迎合しよう。


   天吾が父親の佇むネコの街を訪れて「成長」したみたく、わたしもどうにか変わりたい。強くなりたい。誰かがなれるもんかと言う。でもそれでいい。そうでなきゃ強くはなれない。美味しいコーヒーを飲みたい。それよりも前に朝食が先か。でも椎名誠の世界のまずいビールに関する記事を読んだから、ビールでもいい。とにかく何かを摂取したい。休憩所、はよ。

*1:まさに寒稽古という感じ