何を書くか、何を書かないか。

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枕で眠ると夢をみる/電話

今日は特に長いけど、暇があれば読んでほしい。

 

わたしは小さい頃から、よく眠れない人だった。木造ベッドの軋む音やカーテンの間から漏れる街灯あるいはせっかちに流れる車のライト、どこからともなく生まれるカチカチ音。これらが気になって寝付けなかった。自分はよく眠れない人なんだって認識したのはいつ頃だろう。少なくとも、親と寝なくなった頃だと思うので、結構幼い頃だ。父方の祖母は絵本を読み聞かせてくれた。カチカチ山と三匹の子豚だったかな。うさぎかタヌキが手に持っているモチがうまそうだったのを覚えてる。そうそうあれはよく眠れた。

 

居場所や時間を選ばず眠れる人が羨ましくてたまらなかった。小さい頃からよく食べれたし性的欲求も特に考えなくてよかった。もう一つの生理的欲求を満たせなかったのがただ苦しかった。ずっとずっと。眠りに対する執着心は強かったのかもしれない。夜を迎えるのが嫌でたまらない時期もあった。無理にテレビを見たりゲームして目を疲れさせた。読書はその頃していない。これでも一応、目はどちらも健康だ。父親は目が悪いが、その遺伝は妹がもらってくれたようで、わたしは目がずっといい。何かとずっと。ずっと。

となりで何食わぬ顔で寝息を立てたそいつとわたしでは何が違うんだろう。その寝顔を横にして何度も何度も深く考えた。答えは鮮明には出なかった。そいつとわたしの身体のパーツをすべてバラバラにして確かめてしまいたいくらい、何が違うんだろうと思った。とはいえ睡眠を自ら研究し、理論立てようとしなかった点においては、そこまで重要な案件ではなかったのかもしれない。もう今ではそれすらできない環境に置かれた。

 

眠れなくなると誰かに話しかけたくなるクセがある。夜中の2時3時頃まで眠れないでいる時、ツイッターを仕方なく眺めると "ねれなーい" みたいなのがたくさん散らばってて、みんな同じような気持ちになっているんだと共同体的なものを感じる。

そして安心して眠りにつく。

 

一人暮らしをしてからというものの、眠れなくなって話せる相手がいない。誰にだっていないのかもしれないが、わたしに至っては致命的に友人が少ない方なので、ある意味では死活問題である。勇気を振り絞っても、もう徹夜なんてできない身体だ。

かつてあの人は、眠れないとかじゃなく寒いとかでもなく、寂しいから人と寝るのよとこぼした。そう言ってわたしのそばにすり寄って来た。それはわたしの耳に十分すぎるほどに届いていたし、内容を深く理解させた。満月に近い月の強い光が開かれたカーテンの隙間から差し込んできて、頭から肩にかけて照らした。亜麻色の髪の毛はとても細い線を描いて流れていた。それはとても柔らかかった。

寂しさは年を食えば食うほど増して感じられるものなのだろうか。22年間生きてきて、たしかに増したように感じるけれど、もしかしたらこれがどこかで頭打ちになるんじゃないかとも考える。過ちを犯した自分は一生そういった感情の渦の中で、決して溺れ死んでしまわないように生き地獄に置かれるんだと思う。そして思い出すたびに、頭をかきむしったり地団駄を踏みたくなるんだと思う。

それでも、今までも同様にやり過ごしてきた。枕で浅い眠りのなかで夢をみて、どことなく解決してきた。

 

電話越しに声を受け取りその半ばに眠りに落ちることが過去に何度かあった。その瞬間のことをきちんと覚えていなくても心地よかった。申し訳なさとありがたさを噛み締めながら、起きてすぐお詫びをいれた。やっぱり人は一人では生きていられないんだと痛感する瞬間だった。それを情けないと思う半面、これがわたしの人間らしさだなと認めた。電話の声は、膨大なサンプルの中から抽出して似たような音声を届けているという、都市伝説なんだかどうだかわからない話があるけれど、あんなロマンのない話は要らない。その素材がなんであれ、わたしは文明の利器に多大なる感謝をするし、江戸時代でなくこの現代に生まれてきてよかったとひしひしと感じている。

 

遡って過去のエントリを読む。わたしはこんなことを書いていながら、起きた次の日には何言ってんだこいつと思うのもしばしばだが、それらを"被害者意識も甚だしい"と揶揄られるのは、どこから運命付けられていたのだろう。わたしは別に被害者意識なんてものを持ち合わせていないし、そういうバイアスがかかっているあなたに無理があると言ってあげたい。なぜならあなたは、わたしたちの日々の会話や行いを間近で確認してきたわけではないから。わたしが他人の恋愛相談に興味を持たないのもそう言った理由があるからだ。わたしはあなたたちのすべてを見ていない。敢えて客観的な意見を差し出すなら、とにかく一旦眠って頭と心を落ち着かせてみたら。ということのみ。しかし、それ以上思われてしまうならそれまでだし、わたしにはもうなす術ない。ただ書きつらねるだけだ。

 

突然電話が鳴った。出てみると先月知り合った人だった。直接話した時よりも声は高く感じる。酔っていた。焦っているのか作業しているのか、どうしたのか問うてみると、あなたが"そのうち電話ください。そのうちというのはいつでもすぐにでも"と言うから、トイレに行ってきますといって出てきたんじゃない、と答えた。この人が自分でせっかちだという理由がわかった。しかしこの人はいい人だ。やはり酔っていた。とにかく戻った方がいい、と言って電話は切った。誕生日が同じという運命的キャラクタリスティックに少なからずひかれてしまう。

 

「枕は低いほうがいい」と巷が騒がしいので、タオルを巻いて枕がわりにした。多少の安眠は訪れたが、起床時に首が痛んだ。枕よりも数割増しで首が痛くなった。世の中の考えでは、夢を見るのは眠りが浅いからだというが、わたしの中ではあくまで個人的に感じるのはその反対だ。寝起きにモヤモヤしているところで、あそこで出てきた人は、建物は、出来事は何を示していたんだろうとぼんやりとする時間がたまらなく好きだ。夢に詳しくはないが、かつて学者が、夢というものは自分自身の脳や心が都合のいいように組み立てているのです、と解説した。それを聞いて納得した。わたしは意識的に組み立てている、と腑に落ちた。わたしは意識的に組み立てている。となりでそいつが寝ていても、なぜか夢の中では違う誰かが出てくる。常に意識と無意識のはざまでは矛盾や葛藤が繰り返されている。あの日々ではあまりにも枕が硬く、その上背が高いので初日以外使わなかった。

 

 

 

 

 

 

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あなたを意識して書くのはこれで最後