何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

1ページにおさめる努力

レポート1つをWordの1枚におさめるというのが案外難しくてぐねぐねしている。一杯に書いたら1200字、題名・氏名・段落やらなんやらで1000字程度。量を『書く』技術よりも質高く「まとめる」技術が必要。手を抜いてきたツケが回ってきたと、ここに来てようやく気づかされた。量は全く違うけれどね。章ごとに短くまとめなきゃいけないのは大変。*1就職先のゆるい課題で「雑誌ひと号をWord1枚にまとめよ」ってのがあって、どう構成すべきか迷っています。

ブログのページを縦書きにしてみました。わたしはここで、段落に字がいっぱいになったら、新しい段落が下に移動するかと思いきや違った。横にスクロールするらしいのです。どこにそんなページがあるのだ、とむかしの人は困りそうですね。

本を読むばかりで、卒論が進みません。ここに書いている時間があるのなら、そっちをやれよと思うでしょうが、不思議なことにわたしも同じようなことを思っています。奇遇ですね。ついこの間、メモすることについて書きました。*2メモすること、というのは孤独でありながら、絶えず独創性を求められる、個人的な作業です。求められるというより、ふつうの人なら、意図せずしてオリジナリティーが創出されるという感じでしょうか。

電車や喫茶店、図書館やコンビニのイートインコーナーといったあらゆるところで『メモする人』を見かけると、メモしている内容がどんなのか気になります。もしかするとその人は、小説家だったり俳優さんだったりするかもしれない。独善的な妄想ですがね。オリジナリティーについて思い浮かんだことがあったので、村上さんの自伝的エッセイ*3の一節から好きなところを引っ張って置いておきますね。

 オリジナリティーとは何か、言葉を用いて定義するのはむずかしいけれど、それがもたらす心的状態を描写し、再現することは可能です。そして僕はできることなら小説を書くことによって、そのような「心的状態」を自分の中にもう一度立ち上げてみたいといつも思っています。なぜならそれは実に素晴らしい心持ちであるからです。今日という一日の中に、もうひとつの別の新しい一日が生じたような、そんなすがすがしい気持ちがします。

 そしてもしできることなら、僕の本を読んでくれる読者にも、それと同じ心持ちを味わっていただきたい。人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい。それが小説を書きながら常に僕の考えていることであり、希望していることです。理屈なんか抜きで、ただただ単純に。 一〇五頁

 

残念。 1ページに収まらなかった。

*1:ただでさえ、へたくそなんで

*2:

ネタに「する」とこと「なる」こと part1 - 勢いあまって

*3:職業としての小説家