何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

「親の顔がみたいわ」

 わたしはいつも、くだらないようなことをブログという形として綴っているんだけど、これってもしかすると*1読んでいる方にとって、とても恥ずかしい内容なんじゃないかって思うの。それは、現実世界のわたしを知っている人とそうでもない人と、読者さんの中でも層が分かれるけど、わたしは知り合いがこの手の綴り文を書いていたとして、それを読む側になってみれば少しはずかしい、と感じてしまう。わたしはツイッターのリンクを張っているし、飛ぼうと思えばフェイスブックのページにだってゆける。そこには、わたし固有の「顔」があるんだけど、これを数少ない読者さんが見てしまうと途端にブログの内容が入ってこなくなってしまうかもしれない。ただでさえ入ってこないのにね。ブログに顔出しすることへの是非は、ともかく、顔出ししていない人のと”半”匿名ブログというのはとても面白くて、しまったな、といつも思わせられるわけ。わたしが以前、コレについてで冷やかされていたのも、いまではわたしが慣れてしまったわけだけど、これ親の立場だったらどうなんだろう、とこの頃感じてしまう。わたし自身はさ、プロブロガーではないし、高品質な商品を毎号提供できているわけでもない。つまりは、矜持なんてのは持ち合わせていないんです。と は い え、親の気持ちを考えるだなんて、小学生だって出来そうなんですけど、もうね、レベルが違う。今ごろのわたしの親はね、もうわたしの悩みなんてとうに見透かしてるんですよ。わたしは来年度から、都内に住むことになりそうなんです。そのハード面やソフト面のあらゆる問題をクリアするのは同居なはずなんですけど、その葛藤というか悩みというか超えなきゃならん壁、についてわたしが親に何をどうやって説得しようとしているかなんてもう見え透いているわけです。独立を叫ぶのも援助を請うのも、この4年間離れて暮らしてきてその手順を知っているわけなんだから。ところで、結構な頻度でわたしの書き物を読んでいるそうですが、どんな顔をして読んでいるのやら。「親の顔がみたいわ」。わたしと相方は必死になって作戦を練っています。22でこんなことをするなんて、思ってもいなかったな。画面の中の世界だけだと思っていたのに。案外ね、真剣ですよ。

*1:数は少なくとも