何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

卒論に使うかもしれない❷-大げさに言いたがり

きょうはたくさん読み書き考えた。

ほんとうに 全くまとまらないので、また「夜のノリ」の流れに身を任せて恥ずかしく完成さす。

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本棚の一部を撮影した

並ぶ本の下にある紙切れの集まりは、新聞紙の切り抜きをまとめたもの。これも全ての3分の1くらいの量だ。もっと他にもある。

 

 

どうして本を買うのか。

どうして新聞を切り抜くのか。

どうして本を集めるのか。

どうして切り抜きは捨てずに取っておくのか。

どうして本を並べたがるのか。

どうして膨大な切り抜きを諦めないのか。

どうして並んでいる本を見ると安心するのか。

 

 

 世の中には、理由付けをどうしてもひつようとする人たちがいる。わたしもその人たちの一部。「イチブトゼンブ」が示すようにどこかにだれかの対極さがある。わたし個人はただのイチブであってゼンブではないが、ゼンブはイチブの集合体である。

  わたしにはわたしなりの他の人にはわからない理由がある。

 目下陥っている個人化や個人主義は、そうした対極さを忘却しつづけた結果なのか。

 だれかの言った、

 うまいツイートには唸らされる一方で、そいつらが脳にストックされることにより、別の大事なものが入れる余裕がなくなるのではないか、という危惧。*1

たしかに、と思う。侵略とか暴力とまでは言えないがそういった知的なるものの容量を削ってまでわたしたちはとくにデジタルなものをより好む。

 

 また思考の整理学で有名な外山滋比古の言う「脳は忘れることが仕事」にリンクさせて考えると、ただ一瞬の知的な快感を得るために、わたしたちは絶えず、優れた作品*2に接触しつづける。なんでこんなこと書けるんだ!!!とわたしが唸らされるのも、大げさに言うと、世の根底において文化が多分に成熟していることを示しているはずで、それは近代国家につねに求められてきた市民社会の成熟をも内包する。経済思想史が専門の佐伯は、政治学者丸山の言う、戦前の日本では「本物の」ナショナリズムは成立しなかった、というのを引き合いに出し、西欧文化の強制と受容によって興った日本の近代化は、ただのまねごと、近代化ごっこだったと揶揄する。

 話は逸れたが、そういったことがグワングワンと頭の中で反響しながらここ数日をなんとなく過ごしている。この頃のわたしが特定の時代の歴史に触れるということは、たえず戦争についても考えなければならないということで、つねに生と死と、そこでどうやって市民は立ち上がったのか、ーそして打ちのめされていったのかを問うていかなければならない。左派の自虐史観と右派の歴史修正主義と、その双方をリアルに受け止めきれない若者は、それがたえず夢物語のような、掴みきれないやり切れなさ、つよい虚無感に襲われながら机に向かっている。ときに寝そべっていたりもする。風立ちぬを見ながらも、強く感じた。

 当時の学生がどうして立ち上がったのか、とは一見、若さにだけ身を任せた正義ごっこのはずなのに、時代やら文脈やらを、適当に追っていくとその行いが必然であったかのように思えてきてならない。このような思考を現代では否、その時代では正(だった)とわかってはいるもののその両極を行き来するうちに、自分がいったい何者なのかわからなくなった。

 竹内の言う学歴貴族は、英国に発生したパブリックスクールのエリートとは異なり、全国から出自を問わず頭のキレるものだけが入れる男性社会の、その確立と発展に寄与し「あくまでわれわれの身はわれわれの手によって守るという」手段を選ばない自治を形成した。

 また東京帝大の下位にあった一高の入寮式では、帝国憲法発布時に制定され、制作された護国旗を猛々しく掲げたという記録も残っている。「全国のトップに君臨する首座として、その位置を辱めないように特に運動の精励すべき」あるように、それだけの日本のエリートが「護国スベキ心」を持ち合わせ、高め合っていたならば、歴史は簡単に変えられないんだと感じざるをえない。*3

 

 すでに廃れた旧制高等学校の貴族文化を当時享受し続けた学生は、日本のエリートとして誇り高き街道を歩む。その一方、育ちを受けた文化の廃退を嘆き、全国に結成を呼びかける。一高OBで安川電気製作所の社長、安川は当時首相の佐藤栄作に面会を求め行き、昨今低迷する教育改革論に六年制大学設置を提言した。そこでは昔話に花が咲き、場は盛り上がるもののその日の田中の日記によると「一寸古い感じ」と一蹴されている。  

 大学紛争がきっかけで活発化した「回想共同体」である卒業生は、日本寮歌振興会を開催し一堂に会す。(1961)

 翌年、旧制高校懇話会が誕生し、なおさら旧制高校へのノスタルジアが高まった。*4かの卒業生は"紛争学生のバリケード"という日常性の否定にかつての籠城主義を、そして空間の青春と友情に当時の寮生活を中心とした回顧を、旧制高校的青春として重ねていった。

 

 

学歴貴族の栄光と挫折 (講談社学術文庫)

学歴貴族の栄光と挫折 (講談社学術文庫)

 

 

 

日本の愛国心 - 序説的考察 (中公文庫)

日本の愛国心 - 序説的考察 (中公文庫)

 

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 

 

*1:わたしなりに改変

*2:個人のツイートやブログ

*3:どちらがいいとか悪いとかいまのわたしには判断できずに申すが

*4:それは寮歌を武器に共同体意識と過去のものである連体感を高めあった