「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

夜のノリ

夜もふかまってきた頃

 

 原点回帰しようと思って、卒論のフレームワークを検討していた時のワードを開いてみた。内容はまばらで不明瞭。すごく紆余曲折しているし「何考えてんだこれ」と思うようなことばかりだけど、案外この時に抱いてた「研究の動機及び目的」が今になっていい指南になっていたりもする。この半年間全く進んでなかったのかなと不安になっていた半面、教授に言葉ぜめにあった形跡に対する克服も見て取れて、成長のあかしにすこし嬉しくなった。

 研究とは、ほんとうに難しい。いまになって尻尾をつかんだその正体は本当に途方もなく延々と歴史にみえる影を追いかける作業の連続だ。その中でいまわたしの生きる現代にある分身をまた探し、共通項はないかと苦戦する。

 ましてや、わたしたち学群生*1の本分で「研究」なんていうのは社会に直接還元できるものすくなくて成果は乏しものだし、やった甲斐あっても価値は低く見つもられる。それでも、私がこの半年間温めてきた「応援団研究」を引き合いに出すなら、たとえこうした指標はちいさくとも、時に膨大な情報量に踊らされながら、真なる「学ぼうとする姿勢」を構築できたのではないかと振りかえれる。

 どのような人の、どのような論考を読み、なぜこれが大切に感じるのかというEmotionalな部分と、これらを手掛かりにし結果・考察・結論に導くまでどのようにして論理的な展開を繰り出していくかというCriticalな部分がせめぎ合っている。

 また社会学という身分なので、思い込みの激しい一面的な思考や判断材料の獲得は危険な思想の展開につながる。

 どうして旧制高校で応援団が形成されたのかも、歴史上にあったさまざまな諸制度や学生による自治におけるせめぎ合いが重なり合って、やっと構築されたものなのである。これは、現代には失われつつある旧制高校文化*2の現在を語るうえで絶対に不可欠になる。

 

 さて「なつやすみの自由研究」を疎かにしてきたわたしは、こういった類の調べごとが本当に苦手だった。自由という重い鎖につながれたまま、いつも受動的に「これこれしなさい」という指図を受けてきた。しかしながら、好奇心を刺激する能力にはたけていたように思われる。やや大げさながら述べると、本を読んだり、見分を深めるために様々なところに出向くことで得られる経験的な知識や知恵への接続が、いまとなって怠慢な姿勢、学歴や学力へ対する反抗というアンチ・アウトプット主義*3を克服するための地道な取り組みに運命づけられていたのではないかと思わせられる。

 なつやすみの自由研究という市場が形成されて規模が拡大しているというニュースを見るたびに、いまの子どもたちをうらやましく思う。わたしももうすこし素質として、研究をとっつきにくいものとして扱わないような子どもに育たなかったんじゃないかな、と。いくら言っても無駄なんだけど。

 

 と、なぜいまこれを書こうと思ったかというと、その動機はほぼない。書いておいた方が良いかなと思っただけだ。酒は飲んでいない。少し懲りた。

*1:わたしたちは学部なるものを学群と称する

*2:学歴エリートや学歴貴族の文化と呼ぶ

*3:反知性主義 的な 苦手意識