何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

脳内で

 

いつものように、自転車を漕ぎながらぷかぷか浮かんだアイデアを接着しようと思ってる。誰が入っているかもわからない建物が大学周辺、または大学構内にはたくさんある。白塗りのその建物の入り口、およそ頭上あたりには不気味な有刺鉄線が張ってあって、これって普通、線路脇とかビル屋上の柵に設置されるもんじゃないのかって疑った。ついさっきふだん誰も出入りしないようなその建物の、白塗りの壁の前で黒い肌をした女性が二人つっ立っていて、徐々に近づくにつれて片割れが撮影しているところだった。なんでまたこんなところで、としか思わなかったけど、そんなところでニヤニヤと指図している姿には笑いそうになった。通学路にある散歩コースのように整えられた道は下った先で一本、自動車が通れる道路を挟んで先に続いている。あまりにも狭くて、一時停止するように心がけているのだが、その道路沿いに左折した先がわたしの家に続いているのでよく左折する。左折する時に勢いあまって飛び出てしまうと、たまに居合わせる自動車のドライバーが睨みつけてくる。でもそこはあちらも一時停止であるので、睨まれる義理はない。脳内で、ならおまえも勢いよく下ってきて一時停止してみろと言ってやる。この一連のことは、だいぶ前から一度は書いてみようと思い続けてきたのだけど、いざ書いてみるとまったくおもしろくない。運転中に電子機器をなるべく、というかふつうは触っていけない。けど浮かんでくるものをそこで接着したいので本当にこれは、というやつはわざわざ停止してメモしようと試みる。しかしまたこれも、接着するために読み返してみるとぜんぜん面白くなかったりする。運動を伴う移動でのひらめきは、一種の脳内麻薬でも出ているのかとやっぱりまた疑いたくなる。ICTの発達によって、ハンズフリーで思ったこと考えたことを自動的に言語化しデータに残す技術の発達を願ってしまった。もしかするとどこかには落ちているのかもしれないけれどこういった「不便を便利」にとも言えないような小さなわがままが、ひとつのビジネスになり得るんだなとしみじみ実感している。もう1つ、はやりを扱うならそこにはAI(人工知能)技術の発達と効用も絡めて囃したいところだがわたしにはそんな力がなかった。

 

追記.

みなさんなんだかんだ言って*1読んでくださってうれしいです。これからもよろしくお願いします。それではまた。

*1:言ってない