例のごとく、部屋にこもっても何もできなくなってしまった。
だが、ここ最近は雨がいきなり降るのでうかつに外を出歩けない。
「降るだろう→閉じこもる」か「外あつい→熱中症になったら大変だ→涼しく本を読もう」ということを繰り返していたら「あらい、肌白い」と言われた。周りのみんなは確かに「黒い」かもしれないが、わたしは「白い」訳ではない。ただ「黒く」はないのだ。
相方のおかげで今年の夏は短い。というのも移動に車を多く使用するため直接日光に照射される時間が短縮されている。いいのか悪いのか、まあ日に当たりすぎて倒れるよかマシかとは思っている。
そういえばもうスーパーの棚には「秋物」が陳列しているし、夜の虫は鳴き止まない。ついでに紹介しよう。山田詠美の『ぼくは勉強ができない』(新潮文庫)の一節、季節についてが好きだ。
季節は、いつも暦を裏切り、名残りの尻尾を落として行く。
彼女は実習中、ついでに今日はアイフォーンをうちの部屋に忘れていった。かと言って向こうは実習なので迂闊に届けることもできない、ずっと彼女のアイフォーンを見つめる半日だった。そこでわたしは、図書の延滞通知が止まなかったので仕方なしに靴をつっかけて玄関を出た。枯れ葉に似た蛾がお出迎えしてくれた。*1
自転車に跨ると何かしらが浮かぶ。そう、浮かぶからこうしてキーボードを叩いている。しかし、うちでキーボードを叩けない理由がもう一つあるので先にそれを述べるとする。キーボードの「FIKLHB」が壊滅した。おおよその文章作成に不具合をもたらすこの現象はわたしを悩ませた。これは参った。少なくとも家では、または出先において持参PCでは卒論を進められない。結構大変なことだと思う。とにもかくにも「I」はまずい。とりあえず、いまは思いあぐねながらキーボードを叩いている。
そういえば。今朝のニュースで『コンビニ人間 (文藝春秋)』の著者がセブン‐イレブンでサイン会を行っているということで取り上げられていたのだが、そこでのコメントに「(コンビニで実際アルバイトをしているとき)15分とかの休憩中に小説のネタとかがぱっと浮かぶのですぐにメモするようにしている。あの時間が貴重だから早く再開させたい」と言っていた。コンビニでのアルバイト経験が実際にある相方は「(『コンビニ人間』の)あの舞台はやっぱりセブンだよね~わたしわかるもん」と言っていて、私にはその感覚は実際にはわからないがそうらしい。
彼女は、それが販売して4日ぐらい経ち居ても立ってもいられず書店に行き芥川賞と直木賞の並びを見、「初めは村田さんかな」と言って買ったのだった。それを一日でそれを読み切って快く譲渡してくたのだが、その日は相方の機嫌がよくなくそして私の対応もよくなくひどく喧嘩をした日であったので、本来であれば清々しいはずの「読了を果たした一日」というのはそうではなく、『コンビニ人間』に対していい思い出ではない。
セブン‐イレブンかどうかはわからないが、先に言った「浮かぶ」 ことについてよく頷ける。本当にこれっきりはよくわからないが、外界で異質な何かと接触することが必要なんだと思う。今からでも日焼けできるように出歩こうか。というかあんな人気作家がコンビニでアルバイトしようもんなら小規模でも経済効果は半端ないんじゃないか。*2
文章には、読みにくい中での読みやすさってのがあると思う。いろいろ試しているがいつもと違って見えて具合が悪くなるかもしれない。ごめんなさい。