何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

ブログとは読んでいる誰かをまったく意識せずに「ひとりごと」であれるのか

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前回書いたもので「沢木耕太郎の本を読みなさい」と言われた件について触れた。

日常の切り取りからひとりごとに移り変わっていくのでご勘弁を。

 

そこに入って目の前に、新着図書の書架が立てつけられていた。そして一冊に目が留まった。『術』と謳うだけあるので、何かご教授してくれると思って手に取った。いろいろと内容はあるが、「SNSが発達した今では、ツイッターなどは他者を意識して書いているがブログはそうではなくあくまでも自己満足、ひとりごとのように書いている」というのが印象に残っている。頷ける部分もあるがそうではない部分もある。

著書の名まえ自体いささか「煽り」っぽいが、中身は一読の価値があった。とても偉そうだけど、そうやって吟味しながらページを捲りチェックしなくては時間がもったいない。読み進めると、野地が参考にしたという書き手の中に沢木さんの名前が挙がっている。

そんなことがあって「深夜特急1 香港・マカオ」を見つけ出すべく図書館特有の検索エンジンにかけた。すると「特殊コーナーに置いてあります」「ばしょはしょくいんさんにきいてください」というのが目に飛び込んだ。「諦めるか…」と思い、もと居た椅子に腰かける。

 しばらくし諦められず「特別コーナーって何ですか?」と「しょくいんさん」に尋ねた。あつい髪の毛に液を塗りたくった男性は困った様子で「どこでしょうか…」といった。こっちが聞きたいから聞いたのだ、あなたは立派な「しょくいんさん」なのではないか!!と心では思ったが、そこは冷静に「館内にあるんでしたら読みたいです。だめなら大丈夫です」と返すと、余計に困った表情を見せた。エプロンをかけた女性の「しょくいんさん」が外から帰ってきて相談していたがやはり見つからなかった。その人は懇切丁寧に、どこかのだれかに電話をかけ場所を訊いていた。ことの結末はあっけないものだが、すこし興味深かったので書き残しておく。

この図書館が併設されている真壁伝承館は、筑西と呼ばれる地区(茨城県西部)の桜川市に位置する。その桜川市に真壁町というちいさな町はある。ちなみにこの真壁町は、古くから石材のまちとして栄えた。なので、至る所に石が転がっている。なぜか埴輪もまちの一角に立っている。

それはさておき、例の本「沢木耕太郎の著書たち」は、ここ桜川市出身で直木賞受賞作家だという海老沢泰久*1の奥さんによって真壁図書館に保管?収蔵?されている。なので、読めないらしい。*2どうしてもという場合は、「しょくいん」立ち入りのもと蔵の中で読むことが可能。サッサと諦めた。*3

 

pr.kokugakuin.ac.jp

 

はて、どうしてこんなところにいるのかというと、例の相方が免許更新のための講習を受けなければならなかったから。外はあいにくの天気模様。いつも通り学校の附属図書館に行っても、いつもと同じことしかできないと判断したわたしはついて来させてもらった。数年前に建て直されたこの建築物は『新建築 10月号』にも特集を組まれるくらいに魅力的だ。歴史の重みを感じることができドキドキする。籠って何かをするには持ってこいな場所だ。

こうして、いつもなら行かないような所に、やすやすと足を運ぶことができるのも学生の特権なんだろうと思う。最近はそんなことにしみじみと、してしまう。すぐに飽き飽きする性格のわたしは、いろんなものにすぐ目移りするし、なんでも一人でいるのは楽だと言ってみたり、本来はマスコミを志望していたと正直に話してしまう。なので、祈られる。

そして、そういったわたし自身の性格*4現代社*5せいにしてしまうところもある。確かに、そういった時期にわたしは「生きて」いたが物心もついたばっかりで、はっきりとした記憶はない。

しかーーーし、その時期に起こった出来事のそれぞれ*6により、わたし自身がこうしていま悩んでいると無意識的に自覚できるほどの影響があったと感じざるを得ない。 祈られること*7をアルバイト中のお客さんに慰められるほど無慈悲なものはない。うちの息子も本当にその時期はつらそうで…と息子を目の前にしてまで話す母親の話は、ただただ頷いて共感するほかない。なんだか涙が出そうになった。

「 (わたしの)行動を制限しているものを列挙しよ」と聞かれたら戸惑う。それを列挙し、排除することを試みたら万事解決されるか、と言えばそうではない。「悩んでいる暇があるならさっさと行動しろ」「勇気を持て」という言葉が脳裏にちらつくのは、本当はそうしたらいいということを感覚的に知っているから。親も友達も、先輩も後輩も、みんながみんなわたしが社会に出て何かをすることを「期待」している。ここで勘違いできないのは、「期待」するというのは「その先にみられる大きな活躍を期待する」のではなく、ただ社会に出ることを「求めて」いるということである。「ひとりごと」というのは当たっているかもしれない。ただ話すように書くのはとてもラクダ*8。誰が読んでくれるだけで、救われる世界がココにはある。ただ、それだけで生きていけるのかもしれない。

*1:誰って感じだったが

*2:だったら、検索機に出てくる内容もきちんとそう書いとけと思った。

*3:あとで、住んでいるつくば市図書館できちんと借りました

*4:性質、ではないか

*5:主に90年代から2000年代初頭にかけての目まぐるしい動きのあったところ

*6:小学5年生がわたしのなかの人生のピークだと思っている 2016.07.15現在

*7:企業様に入社をお断りされること

*8:楽だ🐫🐪