何を書くか、何を書かないか。

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まちへ出ろ

 

タイヤの跡

 

  わたしは高校時代、片道40分も掛け山道を通学していた。母は厳しかったので、雨が降ろうとも雪が降ろうとも、自転車で通わせた。

 

  そんな風に「厳しい母親像」を描写したかったが、甘え方を覚えてしまったわたしは、まれに、悪天候時に自家用車での通学を助けてもらったことが何度もあるので、やはり母は優しい。父はいつの日からか電車通勤をしていた。

 

  とは言うものの、大半の日々は自転車に乗っていたわけであり、習慣として身体にしみついてしまっている。

 「学校のすぐそばに部屋があり、通学に5分以上はかけない」という当然さがまかり通ってしまうのがわたしの大学であるが、都内の大学であったなら多くがそうならないのだろう。学生街であるゆえに便利なところは沢山挙げられるが、大学周辺はわやわやうるさいし、治安もあまりよいとは聞かないので、必ずしもいいことだらけではない。

 

  その意に反して、わたしは大学から自転車で15分程は要するところに部屋を借りた(異端な・おかしい・いかれた)学生である。理由はわたしにとってあたりまえのことで「せっかくの部活動が休みの日に、近所のコンビニなどで先輩などに偶然出合って恭しくしたくなかった」からであるけども、それも3年次の途中にもなれば必然的に先輩と出合わなくなるわけで、、そこまで考えていなかった。しかしながら、閑静な住宅街のすぐ傍に借りたわたしの部屋はほんとうに居心地がよく、学校へ簡単に行かせてはくれないことも多々あった。そんなこともあり、現在でもわたしはよく自転車をつかう。

 

  わたしが選んだ通学路のひとつに、(わたしの中で有名な)ここは「ゆっくりと曲がらなければスリップしてしまう恐れがある」曲路がある。通るときは毎日細心の注意を払っている。わたしは宮城県の出であるので、道が滑るか滑らないかは雪道を走ってきた経験者として感覚的に分かっている。

 

ーそれでも滑るときは滑るものだー

 

  その局路になめらかに濃く描かれた太い曲線がある。これはどうみても自転車のタイヤの跡なのである。さらに驚くことに、その曲線は決して途切れることなく道なりに続いている。ひどく驚かされた気分になり、ついでに負けた気分にもさせられる。あの極太線はマウンテンバイクなのかを、どうやって曲がり切ったのかを想像するだけで笑いが込み上げてくる。これは本当に、岸先生風に言える「どうってことのない話」がひどくおもしろく感じられてしまう。

 

 

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  わたしがエラそうに言えることではないが、社会学を学ぶにあたって必要とされるのは「まちへ出る」ことだ。極端な話、まちへ出ておけば何とかなる。何らかの出合いがあったり、出来事に遭遇できる。出なければ何も得られない。しかしながら、そこで触れられるとりとめのないような出来事たちを美化や称揚したいわけではなくて、あるがままのすべてを言語化してみることに意味があると思うのだ。ーもしかすると、言語化さえも傲慢な行為であるかもしれないー するとみえてくるものがある。自分の価値観と照らし合わせてみて、それがどんなふうに映るのか客観的にまなざしてみると、普段から自分が何を考えているのかが傾向としてわかってきたりする。

 

  わたしたちは、物事をみたいように見ており、みたくないものは無意識的に見ないようにしている。