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ゼロになるのはこわいことではない

雑談 過去・回想 日常

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 荏原町と聞いて思い浮かぶのは、私の親戚にあたる女性(たち)が経営している「うまい」居酒屋だ。その店は、女性4人で切り盛りしていて、とても身内的な雰囲気を持っている。ちなみに荏原と書いて「エバラ」と読む。「エ バ ラ焼き肉のたれ!」も想起させるが、その関連はあるのかと父に聞くと「わからない、多分あるんじゃない」と答えた。エバラ焼き肉のたれは結構好きだ。

 

 

 東急大井町線に乗るのも初めてだった。荏原町駅は無人駅みたいに小さかったけれど、相反して人はたくさん降りて乗ってしていたので、すこし戸惑った。東京というまちのちいさな町はこうして、駅を中心に出来上がっていくことを再認識できた。東京には住みたいけれど、今のわたしにはきっと叶わず、というか向いていない。地方にて籠城しながら、適した時機を見据えていたい。

 

 情報の中心地から離れることは怖いけれど、それでいて安心することもある。何もかもが出そろっていないと、手元にないと、不安に駆られる中心部での暮らしは、想像するにきっと苦しい。つくばから中心部を見て苦しく感じているわたしに、東京というまちはどのようにして襲い掛かってくるのか見ものであったり見ものではなかったり。

 そこには、遊びに行くだけで十分だなという雑感が、いまだ浮かんでは消え浮かんでは消え、すでに安住しているようだ。でも、捨てきれないでいるのも事実であったりする。

 しかしながら、判っていることが一つある。物体は場所を選ぶが、仮想体としての情報は場所を選ばない。どこでだってやれるのだ。

 

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 おとといから堀江貴文の「ゼロ」を読んでいる。出所直後に出されたこの本は、いまの私に勇気をくれる。「僕はマイナスになったのではない、ただゼロになっただけだ」という一節が印象的なので無意味ながらも紹介を入れる。

 

 僕はマイナスになったわけではなく、人生にマイナスなんて存在しないのだ。失敗しても、たとえすべて失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ。メディアを騒がせた「ホリエモン」から、ひとりの「堀江貴文」に戻るだけだ。むしろ、ここからのスタートアップが楽しみでさえある。『ゼロ』(p,30) ダイヤモンド社

 

 言葉が悪いが、あの当時、強情なカネの亡者としてメディアを沸かせた彼が、こんな一面を見せながら本書をはじめているところに僕は魅かれた。そう「生きている」かぎりゼロらしくないゼロにたち戻るだけで、いくつでも何かを足して上りつめていくことが出来る。それは、人はどんなところでも"案外"生きていくことができることを表してもいる。

 現代では、なんでも情報が手に入るので、人はすぐ答えを得ようとする、という話は有名だ。その件で彼、堀江貴文にすぐコンサルティングしてもらおうという例が多いらしい。それに対し、彼からひとつ提案があって「ゼロに何掛けても無駄だよ、まず何かを足してごらん」という訓えがある。ゼロにはゼロなりの特性があって、何かを足していくことや引くことは出来るが、何かを掛けることはできない。ゼロ×〇〇=ゼロという大前提は変わらないので、生き急いではいけない。これは、ほんとうにたいせつだな、と思った。

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 まだ、事件の全容はつかめていないけれど、中学生の少女二人が荏原町の駅ホームで死亡した。ふたりで自殺か、という見方もあって、やはり、人は死んでしまったらもう救いようがないなとつくづく感じる。赤の他人であるけれど、少し悲しんだ。

 

 

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 父が祖父母をつくばに連れてきたおととしの秋に、初めて大田区荏原町を訪れた。つくばからは割と遠く、飲んだその日の帰り道はとてもしんどかった。父も祖父も酔っているし、わたしもすこし出来上がっていたからだ。

 わたしが二十歳になってから祖父と父と3人で乾杯するのは初めてで、彼らはとてもうれしそうにしていた。アットホームな雰囲気で開かれているその店のなまえは思い出せないけど、心地よかったことだけはぼんやりと覚えている。