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ただの記録でしかない、

フィクションか何かだと思ってください、

街路樹をみて思うこと

 

 僕はいくつかの通学路を持っている。そのうちの一つ、家からすぐのところの”通り”は昔からある旧道だったらしく、通勤通学の時間はよく混みあうことで近所では知られている。小学生の隊列があれば、車の渋滞もある。とてもとても混むのだ。ある日気が付いたのだけど、街路樹が寂しい姿をしていた。まちに植え付けられた何本の街路樹たちは生き生きと育つ。しかしながら、その生き方には制限がある。道端に立つ何本もの樹々には枝も葉もない。切り落とされていた。それもたくさん。いまの時期にそれを目にすると、冬を思い起こして肌寒くなる。

 

 つくば市の緑化事業はとても優れていると、つくば歴四年目に入った僕は思う。もちろん、どの木も枝を切られるわけではない。とくに、大通りに面している歩道に立っているものは「標的」になりやすいのだ。たしかに、落ちた葉をかき集めるのは大変なので、その面では環境を考えているから?なのか分からないが、いったいどうしてなのだろう。あれでは、”街路樹”はとしての魅力を発揮できない。はたまた、害虫・鳥対策なのか?頭のいい人教えて ください。

 

 

 僕の住むつくば市も、本格的にさくらがきれいな季節になった。この時期になると、気温も上がるので、自然と心地よくなり気分も高まる。うん、いい季節だ。さくらを観て「日本人でよかったなぁ」とまでは思わないけれど、四季折々の過ごし方を存分に満喫できる今の生活に対して「大学生でよかったなぁ」とはふと思うのである。

 

 「お花見」というのはイメージでは「桜見物」だけを想起させるが、そうではないとおもう。読んで字のごとく「お花を見る」ことなので、これからも僕は、季節に合ったお花と向かい合ってにらめっこしてみたい。

 

 そういえばいま思い出したのは、小学4年生の頃の話「ダリア園」に祖父に連れられて行った日のことだ。「ダリア園」に行ったその帰り道、祖父の乗せてくれた車は山道で迷子になった。カーナビもなければ、ケータイもない。いま思えば、とても怖いことだった。

 

 いつか暇があったら書き起こそう。