「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

そらとうみと、教育のたいせつさを実感したいちにち

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海見たくなるのは本能的なものなのかなあと考えていたら、それは空に対しても当てはまるのではないかなあと思った。普段から何気なく見ることのできる空は僕らにとって当たり前の存在になっていて貴重さの欠片もない。

 

けど、一日中室内にこもっていたり作業をしていたりした日の開放を意味する外出は、いろんな意味での解放をもたらしてくれる。すごく気分が晴れます、あれ。

 
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けさは、島の小中高生を対象に陸上教室をおこなった。はじめはあまり乗り気でなさそうな子たちも、やっていくうちにすこしずつすこしずつこころを開いてくれたようで、やった甲斐があった。
 

またひとつ、教育の持っている潜在的な可能性を知った気がする。教えるということは、教わることと同義であり、それは同時並行で進んでいく。それに気がつかないと、テイクしっぱなしで息が苦しくなってしまい、仕舞いには「なんでわかってくれないんだ」という状況に陥る。
 
 
陥りかけた自分が言うので、この件に関しては自信を持って言えます。
 
 
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説明をしすぎると受け手側の頭がこんがらがってしまう。あれもこれも、取り入れているうちに自分の動きがまるで自分のものではないように思えてきてしまい、そのうちに僕は私は何でこんなことをしているんだろうと思うようになってしまう。
 
僕は中学2年生の男の子を相手した。口数が少なくて、どうしたいどうなりたいのかがあまり分からなくて、いまやっていることの意味をキチンと示すことが早急に求められた気がした。けれど頭の中では、やっていることが分かっているなと判断できたので、「どうしたい?」と単刀直入に訊いてみた。すると少し経って、すこしずつ氷が解けるように自分のやってきたこと、そして現在について、これからどうしたいかについてこぼしてくれるようになった。
 

待つこと、大事。
寛容さ、もっと大事。

現代人は待てないんだよね…。

 
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結構、うれしかった。その瞬間が嬉しくてつい、教えてくれてありがとうと言ってしまった。緊張ではないけれど、あまりことを決めすぎずに迎えた陸上教室にたいして不安があった。ちなみに、きょうの天気は雨。つくばよりもあたたかな雨がしとしとと、いやザーザーと降っていて僕の靴と髪を濡らした。教室が終わって外に出たとき、うちにこもっていた何かが晴れたようにどっかに飛んで行った。まるで、空は泣いていたけれど。
 


 
なにかと南国の天気は不安定と聞く。
 
けさの雨は乾いた地とからだとをしっとりと濡らしてくれて昼過ぎには雨が上がった。雨上がり外に出たときの空気が得体のしれない「春の心地」を想起させた。しかしついおとといには、自転車で200m以上の坂を下ったがその時は、春を通り越して夏の匂いがした。とんでもない勘違いをした。けど、時間が経つのははやいよと種子島の海が、空が言ってくれた気がした。
 

あと二日。

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