何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

おやこかどうか

 

10時過ぎから図書館で調べものをしていて、時計に目をやると11時半を回っていた。そろそろお昼かと思ったころ事件が起こった。ふう、と息をついたその直後、おなかが鳴った。それもおおきく、おおきく。ならないでくれという思いなんかをよそに、不意打ちをくらうようにして鳴った。2m程先に座っていた女性も驚いたし、僕も驚いた。自分のものとして備わっている「おなか」をそおっと確認した。

 

 

聴いていたラジオチャンネルから訃報が届いた。「アースウインド&ファイアー」の創設者でボーカルのモーリス・ホワイトさんが亡くなったという。これについてはさっきほど驚かなかった。というのは冗談で、少し胸が痛むくらいには驚いた。この楽曲に関して、母の影響が強くて小さいころから聴いていた。有名どころしか知らない僕だけど、ひとりのファンとして悲しませてほしい。際立って意識した一番はじめの出合いは「宇宙のファンタジー」だった。確認で調べたところ2009年。中2の冬クールに放送されていたドラマの挿入歌として「宇宙のファンタジー」が使われていた。知ってから本当に虜になった。

 

 

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たまにはくだらない情報も必要でしょ?

 

情報は、きちんと選ぶようにと思って日常を過ごしている。よい情報が溢れかえっていて、そんなものばかり見ている僕は、まじめ腐ったつまらないやつになるんじゃないかとふと不安になる。今でさえ十分につまらないやつだというのに、これ以上つまらなくなったらもう救いようもない。ゴミ置き場にピンと立たされていたきれいな青色をしたお酒の缶のように、本来なら居るべきではない見知らぬ場所に、いつの間にか取り残されてしまいそうだ。きょう見たらその缶は倒れていた。ただ倒れていた。直すこともせず僕はそれを見過ごした。

 

 

いややや、情報が多すぎる。この頃は、情報化社会のよい所とわるい所を同時に見すぎている気がする。あとで読むは読まない。けれど、そっとしまっておきたくなるので、あくまであとで読むの選択をして猶予つきで過ごさせてもらう。なんでもかんでもしまっておけると思ったら大間違いだった。上にも書いた。たまには、こんな風な、くだらない情報も必要でしょ。

 

 

 

 

さっきのは学校の図書館で、次に足を運んだのは市営の図書館。僕はどうしても、市営図書館の返却期限に間に合わせることが出来ない。本当に土下座をしてでも謝りたい。学内のは期限を過ぎるごとにその分借りれなくなる「罰」が与えられる。しかし、市営の方は「ごめんなさい」と謝ると「いいえ~どうぞ~」と言っておわりなのだ。その館員の笑顔についつい甘えてしまう。ごめんなさい。

 

 

いつも返すついでにふらりと立ち読みをしてたくさん借りてしまうけれど、きょうこそは借りないぞと決めこんでいた。(たくさん読むのがあるので)だがきょうも、ついつい魅力的な一冊が目に留まってしまった。お言葉に甘えて借りてしまった。

 

 

図書館を出ると、ちいさい子が足元に目をやりながらよちよちと歩いていた。ふらりふらり、あたまにある重心をゆさぶられながらふらりふらり。そのまま転んでしまわないかと心配したけれど、後ろに数メートル離れてその子のおかあさんと思しき女性が見守っていた。蛇行する子を蛇行しながら追う親。立春を越えたふゆの日差しはとても暖かかった。本当に親子だったかは定かではないが、少なくともふたりを包んでいた雰囲気は親子そのものだった。

 

 

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫)