何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

はたらくこと

ちょっとだけ変なこと載せます。

 

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所詮、思い出というものは美化されるものでしかない。美化なんてしようがしまいが自分の勝手であり、どうせ、美化できて後味を悪くなく出来るのであれば、少しくらい前向き思考して、なんでもかんでも美化しておいたほうが得であるとおもった。だれにでも、よくない思い出はあるだろう。これを「終わりよければすべて良し」という言葉一つで片づけられなかった人には、やがて、復讐というきもちが生まれその道に走ってしまう  こともある。僕の最近の辛い思い出といえば真っ先にあがるのは、某引っ越しグループの短期アルバイトだ。

 

引っ越しのは結構つらいらしいよ

死にやしない、だいじょうぶだよ

 

 

まずその考えが甘かった。自分の精神力の弱さもただのあまちゃん程度だったことは今となってみてわかる。ふつうの人なら大丈夫なのかなーとか、現役バリバリなんだから体力には自信あるわ、だとか。連勤?余裕だわ、とか、女の子は軽いの持たせられてイイナーとか、この階段から転げ落ちれれば死なない程度に仕事する手は止まるのかなぁとか、いろんなことを考えたり、思いを巡らせた。

 

 

重いものを運ぶのは大変だったけど、何よりもつらかったのはリーダーさんの煙草の煙だった。疲れてトラックに戻り、助手席につき、シートベルトを締め、窓から道を確認する。助手席に座るときアルバイターとして「当たり前のこと」をしなければならないのだけど、そのときリーダーさんの副流煙、いわば受動喫煙が何よりもきつかった。それだけのためにマスクを三枚重ねして対策を試みたことも事実としてはあるが、あまり効果が見られなかった上に、ただただ息苦しかっただけなので一日でそれはやめた。

 

 

ある時は、団地住宅の四階に冷蔵庫・洗濯機・そして本の詰められた40以上も数えられる段ボールを運び降ろした。あとエレクトーンも。特に、ドラム型洗濯機の重さは異常である。中型バイクのトラックへ積み込みは、かつて経験したことのないほどの挙上の重さだった。その重さはいろんなものを含んでいたと思う。

 

 

 

持てなかったら誰かと代われ! 

持てないなら一度下にゆっくり置け!

しっかり肘を入れろ! 

肘折り曲げてお前が押してやらねーと、前にすすまねーだろが!

 

 

 

階段では(恒例の)罵声だった。

 

曲がりまーす

はーい、OK~

 

OKと返してくれるリーダーさんならまだいい。

その返しが、

 

わかってるから、うん、進んで? 

と顎をしゃくりだして進行方向を指すやつもいた。これがたまらなくむかついた。持っている洗濯機をそのまま投げつけてやろうかとも思った。

 

理不尽とおもえることで怒られ、怒鳴られ、説教をされる。それからは自分の粗探しをずっとやっていた。また言われていくうちに、-あぁ、これが大人なのか-

と悟った。悟り世代と言われるゆえんがこれかわからないが、きっとなにごとも辛抱強くないんだろう。体育会であれど自覚はしている。また、自分がリーダーだったら、こんなにアルバイト叱んないのにな、たのしくやるのになと思ってみたりもした。

 

 

きびしい肉体労働の中で、昼飯はとるのに唯一のちゃんと休憩を取れる時間は15分ほどだけ。引っ越しはだいたい10時に開始する。新居に期待を寄せたり、その反対であったり、お客様によってその「お引っ越し」がどんなものかはわからないが、あの時期3月はおおむね前者のケースが多かったように感じる。とくに、窮屈な団地住いからきれいでだだっ広い新居に転居というのが多かったかな。こちらは死ぬ寸前まで作業させられて軽く午後4時を超えてしまった。

 

母親が朝5時半に起き、お昼ごはんにとおにぎりやサンドイッチを作ってくれたこともあった。ところどころの角がつぶれてしまったそれを午後4時に頬張ることになった時は、リーダーさんが隣にいながら、涙がほろほろと零れそうになった。いいや、零れた。なんでこんなことやっているんだろう、とバイト終わりにうつむき考えたこともあった。

 

 

しかしながら、いまこんなことを言っていては、この先どうなるだろうかともおもうわけ。大学入学したら朝早く起き、自分の身支度を済ませるだけで軽く1時間弱はかかってしまう。疲れ果て、住処へ戻り、夕飯が出てくるのかと言うと決してあたたかいごはんが出てきたりはしない。部屋には僕以外に誰もいない。

 

 

自分ひとりしかいない部屋にかえってきて、「ただいま」と呟いて電気スイッチを押す生活がもう目の前に迫ってきていると思うと慄いた。

 

 

でも不思議なことに、いろんな側面から見てつらい経験をした自分がここにはいるが、終わってみるとなんだか物足りなく思える。やっていた最中は早く辞めたい。3月25日にやめるといったけれど3月20日に早めてしまおうかな。とかそんなことばっかり考えていた。

いま終わってみて言えることは、なんかもっかいしたい。まあ絶対しないけど。したい感じがあった。いろんなリーダーさんがいていろんなタイプの性格のリーダーさんがいておもしろかった。実際に、嫌な人ばかりではなかった。小鶴新田駅近くの仙台東支店には、掃除をしているめちゃくちゃキレイな女性がいて、もう一度だけでもお目にかけたかったなとか。もうちょっとがんばればよかったな、そしたらお話できたかもしれないのにな、と淡い後悔をした。

 

 

ばぁーっと理不尽に襲ってくる疲れと、丁度いい具合に比例して頑張ればよかった感が織りなす後悔が、じんわりと滲みでてくる。ほんとうにほんとうに辛かったけど、結局こうして何かを経て過去を美化をしている自分がいる。その何かが分からないでいて、この記事書くのに正味1時間を要したが、この1時間でまたその過去のつらい体験に対する見方が変わった気がした。その何かは、結局分からないじまいだけれど、まったくいつも思うしょうがないやつである。

 

 

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上のものは少し改変したが、こちらに越してくる前なので2013年の3月末に書いた。大学入学直前だった。人生初のアルバイトは死にかけた。それから大学入学してからは、チェーン店のお好み焼き・鉄板焼き屋、つぶれてしまった和風カフェ、リッチピープルのつどうゴルフ練習場のそれぞれに勤めてきた。上のものの過酷さにはどれも敵わなかったが、大学に入ってきてやってきたそれぞれも、それぞれに大変だったのは間違いない。だけど、それ以上に学びがあったということを強調したい。今週まで勤めていたゴルフ練習場は本当にすごい場所だった。社会学・レジャー論を学ぶには格好のスポットだった。まあ、やめてしまったけど。やめてしまったからこそ書き残しておきたいこともたくさんあるので、時間があるとき振り返らせてもらおう。いまのところはここまで。

 

あたらしいアルバイトに行ってきます。

次は、個人経営のイタリア料理屋です。

 

 

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