「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

ちょっとしたこと

 

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ちょっと早く起きてしまったので更新しておこうと思う。

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昨日書いた記事が(僕にとっては)過去最大の「反応」を得た。とてもうれしくて、正直ニヤニヤが止まらない。なんだかんだ中学生の頃より使っていたアメーバブログから、今年の2月にこのはてなブログにあっさりと移転を決めた。その理由は、向こうのデザインが好きじゃなかったということと、変なアクセス者が多くなってしまったためだった。

 

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1、はてなブログのデザイン性

大学の先輩で、現在では某大学の陸上競技部監督をされている方が、ここを使ってブログを書いていらっしゃる。それがきっかけでここを知った。去年からちらちらと閲覧しながらとても気にかけていた。ある日、本サイトのメインの部分に飛び、ぱらーっといろんな記事を読んでいると、すぐに目が留まったのがえづれさんのものだった。そしてすぐにこれだと決めた。(なんの、これだ、だよ)ある意味でそれが決定的な瞬間だった。「こんな風に書きたい...!」そう思った。昔から、人のブログを読むのは好きだったけど、立て続けに何度も、また次の日を楽しみにするほどのことは今までなかった。だからその、えづれさんにスターを押していただけたときは本当に嬉しかったです。ありがとうございます。

 

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恐縮ながらまた触れさせていただく。(二度目)えづれさんのは、すごい手が込んでいそうで、それを前面に押し出している感を漂わせない、押し付けてこない。でもなんだろう、そう、充実したスペース感がきまりよく、印象的だった。手が込みすぎていて何から何までびっちりです!キマってます!っていうのは、僕はあまり好かない。なぜなら、どうしてもそうはなれないと思ってしまうからだ。それでこそ、そういうスタイルで、需要は高くて星は多くてブックマークも沢山されている方はたんといるけれど、それはまた「別の世界のひと」なのかな、と思ってしまう。前稿にも挙げたライフハック系の類のものが多いかなと見受けられる。

 

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それに、書き方が本当に好き。僕は、そこら辺にいる体育学生よりは一応本を読んでいるつもりである。(僕自身がバリバリの体育学生なので...笑)なので、そこまで偉そうなことを言えないけど、文章を書いているその人が本を読んでいるか読んでいないかっていうのは、文章を見るだけで一目瞭然に判る。やっぱり「本を読む人の書く文章」はおもしろい。味があって独特の雰囲気を醸し出していて一目置かれるのも当然だと感じる。僕は、そんな人たちを強く目指しているという訳ではないけど、多かれ少なかれ、ああなりたいなという願望は細やかながらには持っている。

 

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だから、書き方を真似しようとしまっている。それは結果論、無意識的に。(でも振り返ってみるとさっぱり似ていない。)あの林先生も、「文章の基本は、あらゆる文学者の作品を書写することからだ。」と語っていた。ああなりたい、その先に自分のオリジナリティを築き上げたい、と思うならば、まずうまい人の作品(ここではブログ)を真似てみることからだ、と思っていて、勝手にそうさせてもらっています。本当に失礼なことばっかり言ってスミマセン、堪忍です。

 

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2、アクセシビリティとレスポンシヴ

現代のネット世界においては、この発信される供給物に対する「反応」の数で「何か」は成り立っている。その何かというのは紛れもない存在感の維持のことだと思ってる。誰でも発信や生産のできるSNSの目ざましいその発展は、脆い友情関係の構築・維持のために「反応サイン」が設けられたことによって成立している。「いいね」「Like」「RT」「Share」「Bookmark」そして「スター」など知っているところではこんなものかな。(インスタグラムはしていないので知らない。)

 

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上のような装置によって生産されている「反応」は、なにより(存在論的な)安心感を生む。ユーザーがそこに投げかけた(一見、社会的には無意味的であるが)個人的には重大な意味を持つものが「反応」を得ることは、やや大袈裟かもしれないが、その人の存在意義を担保していくということに(ゆくゆくは)つながると考える。もう一度、社会学のテキストを用い、そのお言葉を借りるとすれば、

ほかならぬ特定の他者への配慮や関心によって相互に結合した圏域のことを親密圏というが、「私らしい私」の承認は、親密圏をともにする他者によってようやく可能なものだ。・・・「私らしい私」から疎外された「私」が、新たな居場所を発見して「私らしい私」を保存し合う「私たち」が探り当てられるのか。個人にとっても社会にとっても、それは分岐である。【社会学をつかむ 『私らしい私ー』(有斐閣) 】

少しずれているのだけど、以上のようなことを遠回しに伝えたい。ネット世界へと自身の声と関係を構築するための道具とを保存する。人が他者との関係を構築していく際にある圏域が出来上がるというのも、それは既に、生身の人間同士のかかわり合いではなくなっていて、デジタルで冷たい圏域が出来上がってしまっていると言える。それも多く、沢山。それを僕らは、現にいくつもいくつも保持し抱えながら生きている。

 

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言っておいてまとまらないんだけど、とりわけ言いたいことは、そういった関係を構築する方法がそういった形で「よくない」ということではない。それはそれなりに「いいこと」を多分に含んでいて、例えばきょう僕が得た、いい感情を生んだように「何か」を豊かにしてくれる「きっかけ」の一つになりうるということ。ただ、閲覧数を稼ごうと思って、「スター☆」がたくさん欲しくて、僕は更新しているわけではない。


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でも、増えたら増えたなりにブログ運営の楽しさは2倍にも、3倍にも跳ね上がる。楽しいからやっているのかと聞かれたら、そうでもないよと答えたいが、それなりに楽しい方がいいに決まっている。せめて、趣味はブログを書くことですと胸を張って言えるくらいにはしたい。

 

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ただ言いたいことを発散するためだけに、SNSもこのブログも活用するのなら、そこには生産性や娯楽性は無くていい。生産したものや閲覧対象に付随してくる何かがゆとりをもたせ、自身を豊かにするとき、生産性や娯楽性は生まれ、そのもの持っているロジックに組み込まれていく。社会的な作用ではない、機械的なしくみに半強制的に埋め込まれる。それが、嫌な風に見えても見えなくとも、このブログのデザイン性は、安全性を保障する見えざる力を持っている。

 

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3、プラスアルファーとまとめ

社会学に興味を持ち、少しづつ本を読み解くようにしている。すると、本当に良い言い回しがたくさん出てきて、すぐ引用したり紹介したくなってしまう。僕は本質的に、生理的に、ああ言った言い回しが好きだ。来年の今ごろには、専攻している「スポーツ社会学」の領域で卒業論文を執筆しなければいけない。もっともっと物事を順序よく、筋道立てて展開できるような力を身につけたい。『カテゴリー』の欄に「社会学」を作れるまでは、まだまだ時間がかかりそうだけど、そのうちできるように努めたい。僕らしく必要以上には着飾らず、地味なスタイルを保ちながら、へたくそながらに頑張るので、どうかこれからもお時間がありましたら、雑談にお付き合いください。