「僕」と「私」と「わたし」の記録

87パーセントはフィクションです

インターナショナルな体験

 

 

  以前、全学で開設されている授業科目で、韓国人留学生とお話する機会があった。彼はとても優秀で、日本語が堪能で、加えて英語までペラペラだった。特待生で日本に勉強しに来ているということで、つくづく自分の小ささを思い知った。「国のお金で勉強しに来ている、だから僕は頑張らないといけない。」と言い、続けて「日本の大手商社に勤めていつかは母国で活躍をしたい」とも語っていた。彼は、とても筑波大学が気に入っていて、毎日が楽しいと言っていた。

 

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 対照的に、もう一人の韓国人留学生の彼は、日本人はおかしいと何度も言った。「オタクばっかりでみんないつも一緒にいる。何が楽しくて学校に来ているのかわからない」と、彼は授業内で、普段から内に秘めていたと思しき、思いの丈をぶつけた。それに対して僕ら受講生は苦笑いをするしかなく、先生もすこし困った様子だった。

 

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 話は戻って、前者の彼のその印象的な雰囲気そのものには「優等生」を感じざるを得なかった。僕らは一様に「韓国人」というワードを耳にしたとき、どうしても「よくない歴史的認識」が浮かんでならない。もちろん、過去にはそういった「よくない出来事」が沢山あったけれど、今はそんなこと関係ないんじゃないか、と僕は声を大にして言いたい。僕らの生きている生活世界には関係ない。目を背けているだけだけど、そっちを見ていたっていいことはないんだと思う。潔くごめんなさい、と言おう。

 

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 いろんなお陰あって、今日では国際化が進み、いろんな意味でさまざまな国の人間が交流することができている。今回だってその一つである。

 

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 筑波大学陸上競技部に韓国チームがやってきた。まずさいしょに、100Mで韓国記録を打ち立てたKimさんと韓国高校生チャンピオンのLeeくん。それに続いて、ミドルスクールの選ばれし精鋭がこぞってやってきた。それから、日々のトレーニングが新鮮になり、ブロックとしての雰囲気がガラッと変わった。

 

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 僕はミドルスクールの彼らに対して、トレーニングメニューを提示する時がとても難しかった。大学生である僕らでさえ、メニューを一回一回確認や理解するのが困難なのに、ミドルスクールの彼らはもっと困難なはずだった。英語もあんまりわからない、ましてや日本語なんて分かりっこない、そんな状況でよく2週間とすこし頑張ってきた。本当に素晴らしいバイタリティだと思う。

 

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 これを実際に、当事者側として考えてみたいと思う。僕が、いきなり韓国のグラウンドにお邪魔して、ちょっとの英語とたくさんの韓国語が飛び交っている中、落ち着いてかつ興奮してトレーニングを出来るわけがない。そこから、彼らは常に不安なんだろうなぁ、と思いやることができ、自ずからメニューを丁寧に説明し、理解を得るのに熱が入る。当たりまえのことだけど、分からない事を分からないままにはできない。それは、自分に置き換えてみてもそうだと言える。分からないことをそのままにしてしまったら、成長できるわけがない。勝手ながら僕は、自分自身を彼らに投影し、少しでも理解を得られるまで説明を徹底しようと思った。少しでも分かってもらえたなら、これまた本当にうれしいものだ...。

 

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 彼らが何を得て、何を今後に生かしてくれるかは分からない。陰では「あいつらの言ってることは何が何だかさっぱりワカンネーヨ」って言っているかもしれない。それでも、彼らと過ごしたあの時間はとても濃密で、僕にとって、今後生きていく財産になったと確信している。もしその時、彼らにとっても「ツクバで過ごした時間はかけがえのないものだった」と思えるようだったら本当にうれしい限りだ。なにより、まだ彼らは15~16の年だ。そんな時期にこのようなインターナショナルな体験ができるということ、羨ましく思っている。

 

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最後急ピッチで撮った写真 

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明日の朝には彼らユースチームは韓国に帰る。彼らの今後に幸あれ。

僕も同じく頑張ります。またどこかで会えたなら。