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朝ドラ

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「まれ」スピンオフ放送決定!

スピンオフドラマ放送決定のお知らせ|ニュース|NHK連続テレビ小説「まれ」

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 かつての「朝ドラ」には、あまり親しみがなかった。小学生のころに「風のハルカ」というのがやっていて、そのヒロインが好みだったのでよく母親と一緒になって見ていた。でも、その内容もおぼろげで、記憶も極めて断片的ではあるんだけど。

 

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 9月が終わるとともに、連続テレビ小説「まれ」の放送は終わった。まず、これ自体が、僕にとっての大きな衝撃だった。なにが衝撃的かって、恥ずかしながら僕は「朝ドラ」は、一年間を通して一つの作品が放送されるとばかり思っていた。1年間を2クールとして、上半期と下半期とで1本ずつ放送する、という仕組みを知らなかった。今思えば、とても恥ずかしい。

 

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 もうひとつ「朝ドラ」は平日のみの放送と思っていたので、土曜日に放送があることも知らなかった。昨年度の下半期は「マッサン」がやっていた。最近、日本のテレビメディアにもよく姿を現しているシャーロットさんがヒロイン役で、その夫役を玉山鉄二さんが演じていた。僕は「マッサン」における、あの時代の空気感がなんとなく好きだったので、興味本位で見ていた。先の話に戻すと、土曜日は、一週間で1話とする段落の締めくくり的なものであるにも拘らず、大事なところをポイっと捨て、僕は月曜日を迎えていた。道理で、なんか話跳んでいないか?と思うことがしばしばあったわけだ...。

この年で気付けてよかった、としみじみおもう。

 

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 さて、「まれ」はいろんなことを僕に教えてくれた。夢を追うことの「大切さ」。そして、それに重なり合うようにして響いてくる夢を追い続けることの「難しさ」。現代社会を背景に描かれたこの作品は、様々な視聴者にとって親しみやすかったのではないかと思っている。

 

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 「まれ」は、石川県・能登半島の「外浦(そとら)村」を中心にして物語が描かれる。日本の旧きよき部分を存分に出しつつも、それと対比させて現代的なものを想起させる、神奈川県・横浜市を第二の舞台に置き構成されている。

 

 数々の「側の人」が交錯し、それぞれが見ているもの(夢)を追い続ける。過去、現代、そして予測不可能な未来を、それぞれの側の人が捉えてもがく。農村地方/都市都会、現代的な夢/現実、義理と人情/非情さ、食育、家族、、、などなど様々なキーワードや、その二項対立的な考え方が所々に見れてとても面白い。随所に見どころが詰まっていて僕自身は飽きなかった。

 

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 なによりも僕はこの「まれ」を見て、「人生は何が起こるか分からないの連続だ」ということを知った。主人公の「希」 自身も、あのような未来(結末)を予想は出来なかっただろうと思う。僕は「脱はたち」の節目を、この放送期間内に迎えれたこと、何かの縁だとさえ思っている。


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 人が「大人になる」ことに境目はない。日本における「成人式」なるものは、通過儀礼のようにして、あってないようなフワフワとした不安定なものなのだ。小さいころから自分を見てきた周縁の人が「大人になったねえ」というのはまさしくそうで、そう言ってくれる人がいないところに長いところ身を置いたとすると、自分が「大人」になったということを気づけないままで居れるのかもしれない。それぞれがそれぞれの生きてきた局面でふと振り返り、「あぁ、あの場面がその境目だったのか」と思うしかない。精神的にも、肉体的にも「大人」という基準やラインはなくて、いつの間にかその「大人」ラインを踏んでおり、そして超えていたんだ、と気づくんだとおもう。誠に勝手ながら、僕はそう解釈して生きている。

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 今ここにある自分さえ、たった5年前といえど、高校2年の頃には想像もつかなかった有りようで、また超えて5年後を生きている姿も全くもって想像つかない。ただ注意しておきたいことは、周りに流されるようにして流動的には生きたくない。「何か」がそこにあるのなら、それに一度は反し、背き、自分の「考え」をきちんと介在させて道を決めていきたい。みんながそこに行くから僕も行く、というのは僕にとっての御法度だ。日本を愛する日本人として、「日本人らしさ」は大切にしたいけれど、悪いところの「日本人らしさ」はそぎ落としていきたいと思っている。

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ちょっと話が逸れ脱線したので立ち戻る..

 

 

 希が大人になった瞬間は、作中の随所に垣間見れた。恋に奥手だった主人公 希が圭太と恋に落ちる、師匠から離れる、夢をあきらめず自分で店を立ち上げる、家族を想い一度は店を手放そうと考える、結婚を決め子供を育てる、そして最後に..「パティシエール」として小日向さん演じる「恩師」の池畠大悟に勝負を挑む。ここに、支えてくれた家族や離れていった人たちの出戻り、「歓迎」と「送別」など、出会いあり別れありの象徴的なシーンがギュッと詰め込まれている。

 

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 「夢嫌いの希」が夢を見つけ、それを手にして、それを夢だと認め、それを掴み離さぬように必死に努力した姿は、物語のはじめから終わりまでひとつの流れとして貫徹していた。

 

 作品として、僕は「まれ」が大好きだ。前編と後編とある総集編を撮りためておいているので、辛くなり何かを見失いそうになった時にでもじっくり

見ようと思う。とても、感動した。土屋太鳳さんかわいかった。能登弁よかった。以上。「まれ」はきっと僕に希望を与えてくれる。