何を書くか、何を書かないか。

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うれしかったこと

きょううれしかったこと。

 

市内の小学生たちのための陸上記録会が僕の大学の陸上競技場で開かれるってことで朝から駆り出されに行った。朝八時、雲一つない晴天の下に開会宣言が響き渡る。辛そうに走る子どもたち、ペースなんてものはわからないので、スタートした勢いをそのままに残り800mあるのにも拘わらず最初の200mを全力疾走する。女の子は男の子よりも比較的負けず嫌いさんが多いのか、トップ集団の争いは最後の最後まで勝負のゆくえが分からなかった。中には、男女ともにゴール手前で諦めてしまう子どももちらほら見えた。先生たちは、そんな児童生徒を見て審判をしながら叱咤寄りの檄を飛ばしていた。「自分に負けるんじゃないよ!!!」って。

 

記録を掲示するスペースにて、まだ決勝を終えていないのに「俺ら優勝じゃね?!?!」という声が。何かに向かって闘志を燃やす姿はカッコいい。間違いなく彼らの目はキラキラと輝いていた。今日1日の最終種目は400mR。ナントカ小学校の先生は僕の横で「男女アベック(優勝)したら大したもんだなぁ~」と期待が高まって興奮を抑えきれない様子。結果的にその先生の生徒さんたちはアベック優勝を果たした。何よりも一番に先生がうれしそうだった。その横に立っていた僕も、どうしてかうれしくなった。

 

きょう一日で疲れてレースそのものが嫌な思い出になってしまった子どもたちもたくさんいると思う。出たくない種目に出て、結果があまり思わしくなかった子もたくさんいたと思う。それでも「陸上競技」という括りではなくて、走ること投げること跳ぶことそのものが嫌になってほしくはないなと思った。将来性の高いそれも貴重なちっちゃな芽は、無差別に、理不尽的に摘み取られないといいなと思った。何はともあれ、いつの間にか無事に半日が終わっていた。おつかれさまでした。

 

 

僕はバイト先に向かう途中、親水公園の横道を通る。今日は一日とてもいい天気だったので、夕方にはうろこ雲と燦然と輝く夕日が姿を現した。親水公園のベンチに座る高校生と思しき一組のカップルは、夕日を見てきれいだねと肩を寄せ合っていた。とてもまぶしくて、夕日なんかよりも彼らが眩しくて一瞬羨ましくなった。でも羨望の眼差しはほんの2秒だけ向けて通り過ぎた。

 

またもうすこしして信号に止まると、ワイシャツにネクタイ、下はグレーのスラックスに身をまとった男子高校生が信号を渡ろうともせず熱心に空を写していた。余程その光景に心動かされたのだろう。照らされて彼の表情もキラキラと輝いていた。かくいう僕は写真に収めることを忘れていた。きちんと胸にしまっておいているから今日はいいのだ。

  

高校の頃の現代文の先生が私のうれしいことって話をしていたのを思い出す。その先生は言っていた。帰り路バス停に向かう途中のこと。先生は目の前で、ふたりの教え子が沈みかけている夕日を見て「いやぁ幻想的だ、きれいだ」と言っていたことがたまらなくうれしくて感動してしまったそうだ。何よりも、何かを見てきれいに思う、うつくしく感じることのできるこころを養ってほしい、私自身もその感性を育てたい、と結んでいた。教師たるものその教え子がそういったことを口にしていたらやっぱりうれしいんだろうなぁ。人に何かを教えられる立場に立つことを夢見ているので、そういった観点を僕も大事にしたい。少年野球のチームを持つこと、その夢はやっぱり叶えたい。