何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

辞書のおもいで とその他

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三浦しをんの『舟を編む』を読んだ。 

 

この一冊は、仕事へ対するオトナたちの情熱を見ることができる素敵な一冊だ。

自分からこの作品について言えることはただ一つ。ただただ登場人物が『キレイ』ということだ。なんというか、うまく表すことが出来ない。終始、作中をキレイ目に描かれる漫画で想像し尽くした。 

 

 

辞書のおもいで

 

「辞書はどうやって作られるのだろう」という疑問を小学生の頃から抱いていた。そんな小さな僕にも、「辞書にはたくさんの種類がある」ということぐらい認識出来ていたので、それではどうして、この世辞書ひとつで語句には何通りもの意味が与えられるのだろうと思っていた。「辞書の編纂にたずさわる」と良く表現されるが、さっそくその【編纂】という語句を手持ちの辞書で調べてみると以下の様に表された。どうやら、作り上げられるのは辞書に限ることではないらしい。

 

【へんーさん<ーする> 編纂】:いろいろの材料を集めて整理し、書物を作り上げること。編集。「郷土史の編纂にたずさわる」

 

 

 

 

 

辞書のおもいでpart2

高校時代の古典の教師は、若かりし学生時代慕っていた師が何かしらのお偉いさんだったこともあり、ご縁あって辞書の編纂にたずさわっていたらしい。とても凄いことだと高校生ながらに感銘を受けたことを覚えている。その教師は、手に取る辞書には厳しく評価を下す癖があった。自分らが学校側から購入を勧められていた公認の辞書には「そんな下らん辞書は持つに値しない」と批評された。教師らしからぬ、歯に衣着せぬ物言いだったことに強烈な印象を持っている。とても厳しく、また期末試験はえらく難解で、生徒の半数以上が赤点と呼ばれる「いけないライン」を下回っていた。いくらその「いけない人たち」が出てこようとも試験の難易度を変えようとしなかった。曲がったことは大嫌い(そう)で、何に対しても誠実に向き合っていそうな人柄だった。しかしまたその教師は、物理や化学など理系でないにも拘わらず、普段着として白衣を身に纏っていた。当然の如くそれを身に纏っているので、異議を唱えようとする者はいなかった。だが反対に、スーツ姿やジャージ姿なんて見たときには吹き出してしまうかもしれない。

 

 

 

 

その教師は進路相談も熱心に受けていた。ある雨の日のこと。自分は大学へ提出する願書の志望動機を添削してもらおうと思い、昼食で取り損ねたうどんを啜り友人とお喋りしながら進路相談室で面談するのを待っていた。すると、教室の端っこから怒号が聞こえた。「アライ!何をしてるんだ!出ていけ!」という言葉を理解した瞬間、その言葉は自分に向けられているのだと気付いた。「はいはい済みません」と声にならない言葉を遺して部屋を出た。その時心底腹は立ったが、至極当然なことで今では笑い話に出来るくらい懐かしく感じることができる。後日、どうしてもその教師の書類への署名が必要になり、怒られた日以来その教師の前に顔を出した。「この間は済みませんでした」と頭を下げ、署名をお願いした。教師は何も言わずに、荒く髭が剃られた頬を少し動かしながら一息を吐いてきれいな達筆を見せてくれた。

 

 

 

 

 

こうして書いているとまるでその教師が死んでしまったかのようでとても縁起が悪い。もちろんいまも、元気にあの特徴的な声を響かせて、好きな漢文でも古文でもを生徒たちに説いているのだろう。あの頃はまるで好きにもなれなかった古典も、いまとなってはやっておけばよかったと後悔している。その教師の言う教養の大切さを学生になってから気付かれる。時すでに遅しだが気付けなかったよりマシだろう。もう一度あの難解な解法と、教養に対するお考えをあずかりたいものだ。このような思い出も、こうして言葉として並べてみると、余計に美しく思い起こせてよい気分になる。舟を編むを読んでいる最中も、幾度となくその教師を思い浮かべては、「〇〇先生もこんな学生生活を送っていたんですかねぇ」と問うてみていた。元より、その教師のことは、苗字でもなく名前でもなくて、両方を付け合わせたニックネームで呼んでいたのであるけれど。もちろん本人に向かってはそう言えたことはない。

 

 

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小辞典を購入するに至るまで「社会学」に興味を抱いていた自分は、お気に入りの古書店に入り真っ先にそれを探し求めた。頭のてっぺんが明るくなっている店主は、うまくものが聞けなさそうだったので、自力でそれを探し求めた。おしゃれなジャズや古びたピアノのクラシックが低音で流れている店内に空調整備はなされておらず、店主にだけ当たるように仕向けられた扇風機だけがボォーッと音を立てていた。きっとその扇風機の音にかき消されてロクに音楽は聴こえていないだろう。自分の背丈を悠に超える書棚と、その書棚の前方に自分の膝辺りまで積み上げられている専門書やら事典やらが行く手を阻む。しかし、その小汚い空間にも書を分類するという習慣が辛うじて息を潜めていたので見つけ出すことが出来た。いいや、救ってあげることが出来た。

 

 

 

バイト先のゴルフ場では毎月21日に給与が進呈される。それを握りしめ今でも忘れぬ6月22日、この20年生まれて初めて自費で辞典を購入した。辞書ではないがこれがまた感慨深かった。4000円のものが1800円に古書店ならではの割引がなされた。小声ながらにありがとうございますと呟き嬉しさを噛みしめた。日中であるにも拘らず父親に連絡をした。iPhoneで撮った写真付きで。

 

 

 

 

祖父からは辞書や事典を大事にするようにと、ちいさいころからいくつかの品を譲り受けていた。その頃から「言葉」には興味があったのかもしれない。毎日のようにひらかずとも祖父との思い出として古語・漢和・和英辞典が揃っている。枕にするなんてことはせず、ほんと閃いたときに開いてはパラパラとめくって、その香りを顔に当てていた。本には本のもつ匂いがある。因みに自分は、小学校の頃の白地図とセットになっている地図帳の匂いがたまらなく好きだった。時折思い出すあの匂いと合わさって苦い思い出も引きずり出される。何があったかうまく思い出せないけれど、記憶とはそういうものだろう。

 

 

誕生日

ここ数日の本読みで格段と辞書に対する愛着が沸いた。もっとペラペラめくってみて汚してそうしてもっともっと語彙を増やして味のある大人になりたい。去年、二十歳という節目は喜んだ。祝ってくれた彼女がいたこともあって大いに喜んだ。しかしこの先の誕生日を喜ぶことは無くなっていくのだろうか。生物学的に考えて、二十歳を超えると人間という生命体は退化していく一方だと言う。退化するということは、様々な目には見えないもののピークから下降していくということなんだろう。どうやったって老化を伴った年波に逆らうことは出来ない。けど自分にはまだまだ伸ばす余地のある青くて白い部分が残っていると思う。身長は止まったけれど伸びるのは身長だけじゃない。これは自分が取り組み続けている陸上競技にだって大きく言えることだ。高校生がピークだったなんて言わせたくない。でもそれくらいの危機感をもたなければいけない。伸びるだろうからいまは等閑にしてもいい、では本末転倒だろう。本をたくさん読み、摂取可能な養分を存分に蓄えてかっこいい大人になりたい。自分よ、まだ数字で服のサイズが表される年頃にイメージしていたかっこいい大人の像は浮かんでいるか?とここ最近はそんなことばかり考えていた。野球を続けていない時点でそのかっこいいと思い馳せてた像はもれなく崩される。そうこうしていたら、あっという間に来てしまった。この日はあまりおもしろくないけれど、両親には大いに感謝をして、一日を大事に過ごそうと思う。