何を書くか、何を書かないか。

70パーセントはフィクションだと思ってください。

ここんところのこと -何度も編集-

近況報告をします。


報告というかなんというかうまく伝えられないニュアンスなのでそこは何となくと思ってほしい。


 

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この頃やっぱり思うのは、本は大事だということ。



この頃ネットばかりに頼っている。われわれは、その時目にした情報が嘘かまことか一瞬で判断できない。しかし何度も目にしているうちに、自分はそれを解そうとしていく。周りの反応を見つつ、何度もそれを見ていると、それが本来は判断的にグレーゾーンだったのが、まことのように思えてきてしまう。自分たちが得ている情報は、少なくとも誰かがどこかで編集をしている。ここでは編集されてあるものを二次情報と呼ぶ。


二次情報にばかり踊らされている人間がとても多い。そもそものところキレイな真実などはきっと無い。僕の大好きなドラマ「MOZU」の劇中でもそう言っていた。



本に書かれていることは変わらない。普遍的だ。



本にはいろいろな書き方があって、著者がいて、段階(レベル)がある。彼らはさまざまなテストをクリアしてようやく世に出る。マガジン誌の新刊のようにコンビニに並べられているものは置いといて、一定のテストをクリアしたものが私たちの前に姿をあらわす。書いている人がいっくらくだらない人でも、その編集者・担当者が優秀だったらそこそこにキレイなものが出来上がる。



僕がブログを手間暇掛けて書いたところで、それが本になる訳じゃない。本は造ろうとして造らなければ出来上がらない。そこらへんに売っている100円の古本だって、すごい手間暇が掛かっている(はず)。


いま出版業界が活況に沸いているか不況に泣いているかは別の話に取っておくとして、書店に並べられるような本はやっぱり読むか、もちろんすべて読むまではしなくとも、まず手に取ってみることが大事だと思う。本にはいろいろな種類があって、使われている紙の材質や表紙面の硬さ、何が素材になっているかなど挙げたらキリがない。


というか自分でさえ何も知っていない。本はとにかく奥が深い。一口に語ろうと思っても無理だ。もっと本を崇めろ、讃えろ、素晴らしいと思え。とにかく本を読んでみようかな、読みたいなと思った人は本を読んでいる人に声を掛けてみろ。バイトの前にでも本屋に行ってみろ。週2,3で出勤してるなら、週2,3で本屋に行けるな。ならまずそこに足を運べ。どうしても買いたくないって我が儘を言うなら市立図書館に行け。人に、本に、空間に出会いを求めろ。



…やっぱり本は大事だと思った。



話は逸れるが、これはこの間のこと。年下の女の子と本についてやりとりした時に気づかされることがあった。そういうことを気づかせてくれるから、人には対話だったり会話だったりが必要だ。




孤独ではどうにもならない。なにもみつけられない。自分が何者かさえもわからない。そういう人は、たとえ少なくても大事にしたい。失ってしまうのはもうまっぴらである。あれからもう一年が経ち、悪いジレンマが続いている。もれなく、本をやり取りした人との御縁は悪くなる。もうそんなのはやめにしてほしい。あぁ余計なことを話してしまった。




乱調してきたし、図書館があと十分で閉まりそうなので、近況報告は辞めるとする。夏休みは17時閉館。早すぎる。どうにかしろT大学。