読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

分析をするひと

夜も更けて、手を付けなければならないレポート課題もそこそこにしている。(やっていない)ようやく成り上がったさんねんせい、全然忙しいではないか。

 

 

 

ふと頭に浮かんだ、「分析」とは何だろうか。

日ごろからよく使っている言葉なようで、でもちゃんとした意味を言えと言われると詰まらせてしまう。

 

手元にある辞書を引いてみると、

 

分析<ーする>1.もつれている事柄や複雑な事柄を、一つ一つの要素や性質に分けること。2.物質の組成などを、物理的あるいは化学的方法を用いて決定すること。また、その操作。

 ..

.らしい。(ちなみに対義語は、「総合」です。)

 

 

 

私の身の回りには「分析をする人」が沢山いる。その形は、集合だったり個人だったり千差万別。それはそれはとてもせわしくしている。

 

 

 

私は、将来のために、と思って受講し続けている科目がある。遂には【シーズンⅢ】まで達した。毎回毎回とても面白くて、退屈したことがない。就職支援課にいながら担当教員をしているY先生には、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

「キャリア・デザイン」というその科目のⅠは、多数の人が(迷いに迷って)受講を決める、大教室が埋まるくらいの人数はいただろうか(私学の言う大教室と比較はできないけれど私たちにとっては大きいもの)。そこでは、違った学群の人と面識を持つことが出来る。将来へ向けて抱えている不安や、あるいは野望なんかも共有が出来る。授業終盤にはそれらをまとめて、皆の前で発表する。様々な視点から物事を見たり想像したりすることを出来るだけ多くの人と共有したり、不安多い未来へ向けていま私たちに求められているものは何なのかについて理解を深めていこうというのが狙いだ。その科目Ⅰには、受講生が必ず出席しなければならない一日ある。それが、「社会人インタビュー」の日である。以前にもそのことについて書いたことがあったので添付をしとく。

 

 

 

もう二年前。懐かしい、とてもためになったなぁ。記事を読み返すと記憶が蘇る。ブログをやっていてよかったなぁとつくづく感じる。

 

 

まぁそんなことはさておき、本題に戻る。Ⅱ、Ⅲと来ると順調に人は減るかと思いきや意外のなんの、Ⅲは人がそこそこいるではないか。さすが、サブタイトルに「~仕事と社会~」と入れてあるだけある。

 

この就職難(?)な世の中に、少しでも知識・考え方を身に着けようとする人が多く集う。私も、その集合体の中のひとりに数えられる。ここには、現に就活真っ最中だという先輩にあたる方も参加されている。鋭い意見を聴講することが出来てよい刺激を受ける。「政治学」を専攻している先輩は、「みんなは就職を悪いイメージにしか捉えていないのではないか、もっと明るくイメージすれば自ずとやりたいことが絞れてくるのでは。」と、下級生である私たちが就職に対して意見したものを聞いて、分析をした。

 

何がゴールか分かっていない、特にこれと言って見定めるものがなく、就職自体をゴールとしてしまう人も多い、といった問題点が次々挙げられて、これは自分にも当てはまるなぁ...と強く感じた。当事者意識を持つのもそう遠くはない。

 

 

 

何を意識して就活スタートと言えるかがまずわからない。とりあえず、インターンシップ制度について調べ、小さな計画を企てている。それと、継続して取っている産経新聞に、たまーに掲載されている「就活コンシェルジュ」と言う欄があるのだが、それをただ念入りに読んでいる。しかし、自分にはまだ学びたいことがある。今はまず、それを就職した先でも出来ることなのかどうかというところから探っていきたい。

 

 

 

いろいろな話を聞いているところ、社会人とは「分析がていねいにできるひと」でなければならないのかなと気付く。また、「分析をできる人」こそ社会人に相応しいとも言い換えられる。先日の授業には、筑波大学の卒業生でアステラス製薬㈱に現在勤めている方が、一日講師としてお見えになった。プロフィールとして挙げたもの、経歴や今まで何をしてきたか、どんなことに力を注いできたか、などそれだけに30分はゆうに超えたか、兎に角すごい自己紹介だった。

 

それに対して、感じたことで何より言いたいことは「自己分析力」に優れていることだった。兵庫県立大学から筑波大学大学院に進んだというその方は、「筑波にきたらどんなメリットがあるか」、一方で「行かなければどんなデメリットが私に降りかかってくるか」など、ありとあらゆる角度から「大学卒業後の進路」に対して、詳細かつ綿密に分析した。「可能な限り考えられるものは全て出しました。「得」が多くなるのならば、可能性の無いものはドンドンと排除する」と説明するや、「研究で培ったのは精神力もですが、分析力も特にそうで論理的に物事を...(←最早聞き取れなかった)。」つまりは、、そういうことである(笑)。

 

 もっとも、自分のことは自分が一番に知っていなければならない。この情報社会、他人の行動が逐一確認できる環境下においては、自分のことよりもその他人のことの方がよく知っているということはないだろうか。「自己依存」、とまでは言わないが、キチンと自分の事を知っていて説明できなければ、何も始まらない。上の辞書的定義にもあるように、この複雑化していることを、どれだけ体系づけてまとめることが出来るか。今の自分には、むつかしいだろうがそこから始めるしかない。

 

 

この行いが、自己分析に少しでも繫がれば思いながら、ここらへんで終うとする。