「僕」と「私」と「わたし」の記録

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未知

キュウビョウダイ

レイコンマイチビョウの差で、先人たちはキュウビョウダイに入れなかった。そのあと10"01,10"02とその壁を破れなかった。「ここまで来て破られないキュウビョウダイの壁は恐ろしい.」という、誰かが書いた小欄を何処かで目にしたのだけれど、本当に僕もそう思う。

 
これは、陸上競技にのみに言えることではないだろう。ほんの数秒の差だったり百分の一秒の差の重みというものは、スポーツを競争の目的として努めている者にとって痛い程わかるはずだ。
あと数歩分早く飛び出していたら届いていたのに…といったように。それは、タイミングとか身体能力とかごく曖昧な形で、その場しのぎ的な形で一時的に昇華されるんだけど、そこを自分なりのアプローチで解決していかなければ、多分前身も向上も出来ない。
 
 
スポーツの世界、いろいろな人間が競争をする。例えば100m。この国だけで、どれだけの人口がいるだろう。でも、一つのレースをみてみると、意外と似通った記録が立ち並ぶ。偶然か、なんなのか。同じ風土、習慣、生活内で過ごしてきて居るわけではないのに、無作為に抽出されて一時的に形成された集団が、こういった状態を示す。
 
僕はそこにおもしろさを感じる
 
 
 

集団とは

日本代表の山縣選手は、NHKの特集の中で「一般に普通と呼ばれる大衆(の集団)を抜け出すために、普通の人が取らないような行動やより深くまで考えることを当たり前としたい」と語っていた。
 
ごく当たり前になっていることでも、当たり前と思わないところから、何かが始まるのだろう。頭がイイ人は考えてしまうと、逆に思考停止を始めてしまう。本質をとらえて考えて実践しなければならない。でも、考えなければいけないところ、当たり前を前提とし、実質考えずに無意識的にパフォーマンスを遂行する。つまり、意識的なものをいかに無意識的に行えるかが重要になる。
 

これから

桐生選手が追い風参考ながらに、9"87という記録を出した。同じ組に走った山縣選手も10"15という好記録だった。僕の憧れの高瀬選手も追い風参考ながらに20"09だった。速い。追いつけ追い越せの精神でいると、とても届かないんじゃないかって諦めそうになってしまう。でもいま、自分が出来るところの努力を惜しまないようにして、前を向き直さなければならない。
 
 
そういえば、ももいろクローバーZの歌に「好きなことは苦しく立って努力と感じないで」という歌詞がある。けっして、驕らずにいよう。楽しむを原点に、Athleticsする。いい言葉だね。