何を書くか、何を書かないか。

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田舎者にとっては夢みたいなすばらしい立地

下北の不動産に勤める富山出身の同い年のおにーさんが薦めてきた。掘り出し物です!最高ですって何度も連呼するものだから借りてやった。そんな彼は田舎の近い男とルームシェアをしてるんだそうだ。渋谷まで電車で9分、シモキタまで歩いて15分のところに住んでた時の話です。

2017年10月に入居した時、敷いたログが部屋の大きさに対して大幅に足りなくて、フローリングの部分は誰に頼んだわけでもないのにキンキンに冷えていた。少なくとも秋冬春はまず素足ではたっていられない。これくらい冷えたビールはさぞや美味いだろうなとまったく面白くもないことを考えていた。

その秋大きな台風がやってきてベランダにある隣の部屋との「しきり」がぶっ壊れた。その破片は僕が1年数ヶ月後に引っ越すまで僕の部屋側に散らばっていた。ベランダで隣のオヤジと偶然顔を合わせた時彼は「わるいね」って顔をしてその直後にぴしゃりと戸を閉めた。

いつしか立て付けの悪いサッシの小さい隙間からアリが入ってきた。僕は暇な時、花壇のようなところから一直線にアリが向かってやってくるのを眺めていた。ようこそという思いもあったが、僕はある日心を鬼にして駆除するためのスケルトンの緑色の小さいケースを窓際に置いた。それ以来、部屋の中で彼らを見ることはなくなった。ごめんね。平日の夜遅くや休日はビートルズや名前もよく知らないクラブミュージックをじゃんじゃかかけた。結構な音量にしてたからあんな薄い壁では隣のオヤジにもしっかり聞こえていたかもしれない。ごめんね。

南向きのその窓はさんさんと善い日差しを受け入れた。その日差しでぽかぽかした。冬の日中もフローリングは冷たいものは冷たいけど、暖房をつけず毛布にくるまりながら、これまたキンキンに冷えたビールを片手にジェイコムのチャンネルで「東京ラブストーリー」や2、3年前の準新作もの映画を見た。その部屋には確か男友達は1人、女の子は2人入れた。

なぜだか住んでいた頃の様子を今でもありありと思い出せる。しかしまあ、何か大事件があったとかではないのに、その頭の中のイメージはずっと薄暗く、淀んでいる気がする。下北沢までも歩いて15分で行けて、渋谷までは各駅停車で9分という田舎者にとっては夢みたいなすばらしい立地で、そこに勝手に優越感を感じていたのも確かだった。

ただ情報が多すぎた。刺激が強すぎて心が休まらない。ちょっと時間があればやれ渋谷に、やれ下北に、やれ吉祥寺にいこうって。軽い強迫観念みたいなものがあった。『風の歌を聴け』を引用するならば「頭の上で悪い風が吹いているのよ」的な感じか。とまあ、色々つらつらと書いたけどいいとか悪いとかではなくて、確かにその経験はいまの自分を作っているように思う。それは何となく、そしてまた、揺るがないだろう。あと数年後もまた、ふと思い出すのかな。

 

※一部、加筆修正しました

2021年11月2日